これはダ・ヴィンチ解読編の解答編に近いですから、ネタバレ含みます。
このイベントはすでに終了しているため、ネタバレ等を気にする方は少ないと思いますが、一応ご注意くださいませ。
こぼらがどんな状況から、あの報告書を書いたのか…どうぞお楽しみくださいませ。
実は・・・これがメインストーリーでございます(笑)
ダ・ヴィンチ解読編?あれはね・・・おまけがメイン化しただけですわ(笑)


聞いてほしいにゃ!茶菓子主義しゃん、こぼらにょだいふく取ったにゃよ!?まぁた、カツアゲされたにゃ!絶対叛逆してやるにゃ!
しょういえば、茶菓子主義しゃん、変にゃオジシャンにだいふく工場を探させてたにゃ~絶対盗むつもりにゃね!
さて、この科白の焼き討ち、何のことか皆さんは判りました?これを山口県民2人と、元山口県民に見せて知ってるか実際に聞いてみました。
回答は・・・判らない!(笑)
まぁ、そうでしょうね・・・
これ、英国公使館焼き討ち事件のことです。文久2年12月12日(太陽暦だと1863年1月31日になるようです)江戸品川御殿山に建設中だったイギリス公使館が焼打ちされた事件ですね。
隊長は高杉晋作。副将が久坂玄瑞。
火付け役が井上馨、伊藤博文、寺島忠三郎
護衛役が品川弥二郎、堀真五郎、松島剛蔵
斬捨役が赤根武人、白井小助、山尾庸三。この他にもいたと思われますが、残念ながらこれ以上のことは解りませんでした。
この中で松下村塾門下生は6人います。
高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、寺島忠三郎、赤根武人、品川弥二郎
結構参加してますよね・・・現在にそれが起こると松下村塾はめっちゃ危険な私塾になります(笑)あまり言うと地元民の方たちに私が怒られちゃいますからねぇ。あまり言いませんけど、それを容認する歴史って怖いなぁ・・・とは思いますね。
久坂玄瑞、寺島忠三郎、品川弥二郎、赤根武人って誰なの?って方もいるのかな?
久坂、寺島、品川は違う回でちらっと説明します。
赤根武人はね・・・うーん・・・なんて言ったらいいんでしょ・・・長州藩という国を幕府というか戦争から護ろうとした人物と言えば聞こえはいいかな?
藩の実権を握っている俗論党を倒すために動いていた高杉晋作と対立。高杉らが実権を握ると上方に逃げます。その後、幕府に捕まってますが釈放。尋問のために長州に向かう幕府大目付の永井尚志と共に長州へ帰りますが、その後、幕府側と繋がり説得に奔走したことで、裏切り者として処刑されていますね。
処刑された河原近くには「赤根武人顕彰之碑」がありまして・・・実は高校生の頃、この前を結構な頻度で通過してたりしたんですよ?(笑)
それ以外の人物では、後の大臣や国会議員も参加しているんですよ?私が判る範囲で紹介していきますね。
井上馨は後の大臣経験者です。鹿鳴館外交でめっちゃ有名になっちゃいましたね(笑)
堀真五郎は後の貴族院議員。
松島剛蔵は馬関戦争(※1)に参加。高杉晋作が功山寺で挙兵(※2)したことが伝わると、藩の実権を握っていた俗論党によって処刑されています。
※1馬関戦争は、文久3年(1863年)と元治元年(1864年)に、長州藩と英・仏・蘭・米の列強四国との間に起きた攘夷思想に基づく武力衝突事件の総称。
現在では文久3年のことを下関事件、元治元年のことを四国艦隊下関砲撃事件と呼んで区別し、その総称を下関戦争と呼んでいるようです。
※2功山寺決起や功山寺挙兵ともいいますね。これは高杉晋作が起こしたクーデターです。この挙兵により、第一次長州征伐後に藩の実権を握り幕府側の言いなりだった俗論党を倒し、高杉晋作らが長州藩の実権を握ります。つまり、これが明治維新の始まりの出来事と言えますね。赤根武人が高杉晋作と対立し、上方に逃げたのもこれが原因です。
白井小助は第二次長州征伐(四境戦争)の大島口の戦い、戊辰戦争の北越戦争に参加し、吉田松陰とも親交があった人物です。
山尾庸三は後、明治政府官僚になっています。また、井上馨、伊藤博文らとイギリス留学にも行っていますね。『長州ファイブ』という映画で取り上げられてましたね。この映画を見てこの方を知った人も多いのではないでしょうか?
ね?結構な人たちがこの焼き討ちに参加してるんですよ〜
なぜ私がここまで詳しいのか・・・それはね?私が元山口市民だったのと、大学時代に幕末の研究をしてたからですわ。
皆さんも興味のある時代があったら、調べてみてくださいね?
きっと、今に活かせるものが見つかると思いますよ?
次回5月13日公開予定
ではでは~(๑•﹏•)♪