1964年の東京オリンピックでサッカーといえば、ほとんどの人が注目していなかった。
なんといっても、東洋の魔女!
日本の女子バレーボールが、あのソ連(現在のロシア、ウクライナなど)に勝った!
勝った!の金メダル!
後の国会議員になる大松(だいまつ)監督の『俺についてこい!』が、流行語になった時代だった。
日本の秘密兵器は、回転レシーブ! 赤津 きん さんも 懐かしむ 小技も得意の日本女子の名プレーの続出で、日本中を熱狂させたのを、子供ごころに覚えている。
サッカーは、ワールドカップなどは、夢の彼方のお話で、アマチュアしか出られなかったオリンピックで! 何とか上位にゆけないものか!? だった。
その、レベルでなんと、1968年のメキシコオリンピックで、日本サッカーが銅メダルを取った時のエースが釜本選手だった。
はっきりと、上下ホワイトのユニフォームでゴールを量産した姿を覚えている。
案の定、日本中沸きに沸き、サッカーブーム(第一次サッカーブーム)が起き、少年たちはサッカー部へと入部したものだった。
わたしも、少年野球から、隣の家の中学の先輩に誘われサッカー部へ入部することになった。
私たちにとって、釜本選手はあこがれであり、神様は、バナナシュートで有名だった ブラジルの ペレ選手! だった。
「これが、青春だ!」の、学園ドラマ第二弾は 竜雷太先生のサッカー だった。
日本サッカーの 英雄 釜本さん、、 ご冥福をお祈りいたします。