あの名横綱として、名解説者として世にファンの多かった「北の富士」さんがお亡くなりになられた。
私は、解説者になられてからの「北の富士」さんに、何とも言えないリスペクトというか、
このような好々爺になりたいものだ、と、、、
、、いわゆるファン!だったのだと思う。
テレビの名解説シーンなど、録画してあるものがいくつか残っているのは、北の富士さんだったからだと今しみじみと思う。
人間として、本当に愛される方だった。
聖人君主ではなかったが、心の本当にきれいな、「弱い者の味方」だった。
あの頃(昭和20~30年代)の北海道の多くの人がまだまだ貧しかった時代、相撲界にチャレンジした、豊かさを求めた青年ではあったが、心優しき好漢だったのだろう。
私が2016、3、27に『横綱 白鵬の涙と、北の富士さんの解説』を書いた時の
文章をすこしだけ振り返って、ご冥福をお祈り致したい。
〝解説の北の富士さんも、ちょっと大人げなかったかな、今場所まずかったのは、この
一番だけですからね。問題なのは。本人も反省はしているし、来場所また素晴らしい相撲が見られるのではないでしょうか、今後の白鵬に期待しましょう。
、、、「北の富士」さん独特の「人の痛みのわかる人生」を思い出していた。
中学卒業と同時に出羽の海部屋に入門するのだが、北海道から上京した時に靴を買うお金もなく、学生服に下駄履き姿だったらしい。
上京の際の船酔いが原因で体重が激減してしまい、新弟子検査で体重不足で不合格だった。
特例制度で救われたが、なかなか体重も増えず出世するのにも苦労した遅咲きの「横綱」だった。
同期昇進した親友の横綱「玉ノ海」が急逝した時、巡業先で知らせを聞いた「北の富士」は人目をはばからず号泣したという。
「玉ノ海」の四十九日の法要の時も、自身の優勝パレードの時間を遅らせて駆けつけたという。
人の痛み、苦しさを味わった「北の富士」だったからこそ、「千代の富士」や「北勝海」の、一門の「横綱」が育った気がしてならない。”