姓命鑑定&カラダ改革アドバイザー 永京白衣です。



ご訪問ありがとうございます。


本場のちゃんこを頂きました。


あっさりした中にも、しっかりしたお味。


お野菜がモリモリ食べられてしまう。


食レポが単純すぎる感じですが、百聞は一見にしかずなので、体験したら説明いらずですね。


そう考えると、誰かのレポートやシェアで、行く行かないを決めてしまうのは非常にもったいない。


体験はカラダでシナプスを育てる動作。


体験の前に、頭で全て完結してしまうことは、もはや妄想。


頭で体験してることは、肉体でも体験してると認識したい。


しかし、不一致なので、葛藤やわだかまりはくすぶる。


ということで?たまたま綴ろうとしたことと一致していきますが、、、


ちゃんこを食す前に、師匠の元で、心の潔斎をしてきました。


一度道場を体験したかったのです。


師匠の教えを、カラダで体得したかったのです。


転び方。


そしてら心の潔斎なくして、次なる鬼の言葉(魂)の領域はみえてこない。


ドロドロを吐き出すということは、自分の音が変化していくということ。


同じ『あ』の音でも、響きは別次元。


細胞が需要する音が変換していくと、自らの音や他者から浴びる音を自在自由な変幻ができるそうです。


他者は変えられなく、ただ自らの別音の領域が拡がる。


その自在自由さを体得するべし。


そして、転び方。


転ばぬように、転ばぬように、としか知らなかった人生。


そのように緊張し、転ばぬように、転ばぬように、と子を育ててきた。


転ばぬように、、、


転び方さえ知っていたら、怖いものでないことを知る。


転び方さえ知っていたら、痛くないことも知る。


転ぶからこそ、その反動で、更なる威力が生まれる。


師匠がいることに感謝と、だから後進育成という課題が歳を重ねる分だけある。


転び方を伝えること。


道場が終わり、それから、ちゃんこを満喫。


それから、、、


筋肉痛が待っていました(笑)


いかに、転ばぬように、と動いて、生きているのかを痛感。


しかし、だからこそ、現在値が分かる。


ありがたき筋肉痛。


ご縁に感謝いたします。



永京白衣~えいきょうびゃくえ