永京白衣~えいきょうびゃくえです🌺
ご訪問ありがとうございます。
以前書いた記事の続きになります。
タイに在住している日本人の方から伺った死生観のお話しのシェアです。
わたくしも20年以上前に初めてタイに行きました。
懐かしい記憶がよみがえります。
当時は、身近に貧富の差が見える、という印象がありました。
お話しを聞いて、時代の変化を感じました。
様々お伝えしたい懐かしい想い出がありますが、本題に。
タイでは死はない、というか、転生があると信じられている。
生活の中に、生と死が当たり前にある。
家で生まれ、家で亡くなる。
赤ちゃんが生まれた同じ部屋で、おばあちゃんが亡くなる。
そして、すくに生まれ変わる、と信じられている。
お寺が町の真ん中にあり、そこで一日かけて火葬され、町に煙や灰が降り注ぐそうです。
お話しを聞きながら、スライドを見せて頂き、そこには手を合わせ、ニッコリと微笑む男性の姿が。
この写真を撮った数日後に亡くなったそうですが、不思議な印象を受けました。
なんといいますか、どうみてもご病気の方にも見えなく、まして数日の余命とも誰が分かろうか、と。
こんな表情で、死を迎えられるものなのか。いや、受け止めていけるものなのか。
死が身近であることと、死は怖れるもの、の両者の世界がある。
深く考えさせられました。
魂は永遠である、死は存在しない、とはいっても、わが身に起ころうとなれば、また話は別なのが人の心。
しかし、生まれた時から、生と死が側にあることや祈りが当たり前であれば、肌で感じることに確信を持てるのかもしれません。
日本では、死を忌み嫌う風習が強いかと思います。
わたくしも幼い頃に、初めて死を意識した時に、自分の死より、母の死が怖くて仕方なかった記憶があります。
相当泣きました。
母の存在、親の存在がなくなる?
ここがわたくしの課題であり病になりました。
逃げられなかった母の死。
どうにかそれだけは避けようと必死で、自分のことより母を優先にしてきた人生で、母こそ全てであり、
必死に関わりましたが、その時は思いもかけず来ました。
今から5年前のことです。
死は必ず来る。
親だけでなく、大切な家族も、いや、己も。
どう人生を締めくくるのか。
そんなことばかりを考え、病み、ずっと恐怖の中にいました。
そこから、様々な氣づきがありました。
初めて、生きるということに向き合えたといってもいいかもしれません。
どう死にたいか、と考えた時に、必ずどう生きるのかと浮かぶからです。
どう考えても、どれだけ悲観して絶望に暮れても、最終的には、今からどうするとなるのです。
歳を重ねるのも悪くはないのだ、となるのです。
全て循環であり、その場で懸命に生きること。
どうしても何をするかとなりがちですが、どんな氣分なのかを知ること。
御先祖様の存在を感じますか?
どこに存在するのか?
ここ。
誰にも邪魔されない空間。
どんなメッセージを感じるか。
死を否定することは、自分の内との縁が切れることになるのではないでしょうか。
いつかは脱ぐこの肉体が、今は懸命に流れ動いている。
死がくるからと、生命活動はサボったり、休んだり、放棄したりしない。
その瞬間まで、最優先してくれている。
死を意識するということは、生命活動や肌感覚に氣づけること。
きっと、そこから人生は開花するのではないでしょうか。
追加
いつも通り、記事を綴り終えてから、カードを引きました。
このカードからどのようなメッセージを受け取れるのか。
わたくしは、祝福が注ぐイメージしか浮かばないのです。
何よりも怖れたものの正体が、ひっくり変えるのです。
生命鑑定アドバイザー 永京白衣