永京白衣~えいきょうびゃくえです🌺



ご訪問ありがとうございます🍀


先日、両親のお墓参りに立ち寄りました。


なぜ、立ち寄るという表現なのか。


それは、いつも近くにいる感覚があるからです。


これは本当に不思議です。


肉体的に近くにいた時は、どれほど遠い存在に思えたか。


こんなにも心が通わせられないのかと苦しい日々。


時より訪れる心通じる感覚はあれどそれは短く、すぐに葛藤に支配されていました。


しかし、今となりては、葛藤の時間は短く、忘れてようとも、ふっと必ずその感謝に立ち返る時間が多くなりました。


朝にお仏壇へ手を合わせる習慣はあれど、それでも、どんな場所でもその感覚はある。


偽りある時、子ども心が揺れて、安心を求め、両親にゆるしを求める。


しかし、もうすでにゆるされている。


ゆるしを与えていないのは、紛れもなく自分。


ゆるすって、ゆるむことにも通じる。


だからこそ、心がゆるせないなら、肉体からゆるめよう。


肉体があるのだから、そこから入ってもよい。


本当は、もうゆるされているのだから。



ご縁に感謝いたします💐