白衣です🌺



ご訪問ありがとうございます🍀


自分の内に、全てがある。


いる、、、裁判官が。


以前、どういうことですかと質問がありましたが、


そのままの言葉通りで、裁判官がいるのです。


しかーし、他者を裁くことはサバイバル本能である意味、まぁ、みんなそうだよね、となりますが、


ここからが本題です。


裁くのは他者だけで留まらずに、自分にも向けらているのです。


常に常に、自分を監視している自分。


『御天道様がみている』


とは本当に尤もな表現だなと思います。



自分の内に全ての情報がある、というのは、無限の可能性を秘めながらも、そこに至るにはこの裁判官との決着が必要と思います。


自分の行動、言動はどんな形でもエネルギーとなり、ぶつかり返ってくる。


自分が可愛いから見逃すのではなく、見て見ぬふりという状況なだけで、対峙する時は必ずくる。


自分の発振は、いくら知識を詰めても、変わらないのですね。


わたくしも、このパフォーマンスをまだ演じているのでしょう。


そして、皮肉なことに、知識を詰めるごとに重たくなる、、、


悩みから抜け軽くなりたいのに、その方法を学び、頭が重くなる。


この状態の自分さえ、自分が裁く。


これが潜在意識に上乗せされ、罪悪感や欠乏感覚が太くなるのです。



そして、先日、スクールの子ども達と芋掘りをしたのですが、その時に、あっ!と腑に落ちたんです。


頭では分かっていたことです、何年も前から。


サツマイモがズルズル~と土から掘り起こされて、何個も付いている。


本当に芋づる式。


芋づるをたどっていくと、次々見つかるように、潜在的な記憶や感情も芋づる式に出てくるんだと。


しかし、それには、いくつかの丁寧な作業を通ること。


むやみに引き出そうと引っ張るだけではそうならない。



見たくない感情は、見たくなかったから、見る器がなかったから、引き出しにしまわれた。


時を待たれた、ということ。


その引き出しの取っ手を引っ張ったのは、準備ができたから出した。


それを、またしまいこむのか、整理するのかは、自由な選択です。



なるほど~と、妙に納得し、畑を見回し、不思議な感覚を味わいました。


この自然の中でたくましく遊んでいる子ども達。


見ているだけで、微笑みが出てしまう。


この寒さの中で、はちゃめちゃに楽しんでいる。


そして、ボーとしていると、いつの間にか、いたずらをされている(笑)


次から次にアイデアを遊びにしてしまう子ども達のペースに巻き込まれて、思考は働かなくなり、無邪氣ゾーンへ突入(笑)


そういう世界は、母なる大地、そして宇宙なる父から、大いに遊べという絶対的な見守りがあると感じます。



素晴らしきかな、人生は💐




ご縁に感謝いたします🍀