白衣です🌺
ご訪問ありがとうございます🍀
先日、グループでしている朝活で六方拜を担当しました。
その日は私の誕生日でした。その日に担当する人がいなかったので、引き受けました。
そこで誕生日ということもあり、何かに導かれてる氣もし、自分のストーリーに欠かせない両親への想いを語りました。
私の中では、父、母への想いに溢れた六方拜になりました。
ここから、その時の六方拜を綴らせて頂きます。
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あなたは自分の存在が何なのか考えたことがありますか?
私たちは自分のカラダをどこまで知っていますか?
カラダは365日休む暇なく働き続けている。
生まれた時から。
そして、私たちには五感が与えられている。
全て中庸で調和がとれるようになっている。
私たちには、『神のみち』と呼ばれる神経が張り巡らされている。
この神秘としか言いようがない、カラダを持ちながら、何をこわがっているのか?
どうして不満が言えるのでしょうか?
自分の内に答えが全てあった。奇跡と無限の可能性があった。
そして、生きとし生けるもの全てが同じ身体を持っているという真実。
まず、東の方角は両親から続く御先祖様。
私たちの内には、両親から続く御先祖様のDNAが刻み込まれている。
そして、今は亡き父へ。
私は18歳で家出をし、17年間、父から身をひそめてきました。
母と20歳の年の差があり、父が50歳の時に私が産まれました。
父は私を徹底的に管理した。
自由に遊べず、自由に選べず、自由に買えず、母は私が8歳の時に家を出ました。
母と連絡を取れないように、家では電話線を外されていた。
しかし、私は父が不在の時に電話ができるよう調べ、母からの電話をよく待っていた。
連絡網がうちだけ回らない、料理をしないといけない。
お弁当が必要な時に、ホカ弁を持ってくる父が恥ずかしくて、父にお弁当が必要だとは言わなくなった。
お弁当の日は、お腹が痛いからと教室から出て、学校内をウロウロしていた。
生まれてから、父と母が仲良くしてる姿は見たことがなかった。
父はいつも母に口撃していた。
でも母は、出逢った時の父はそれはそれは魅力的だったんだ、とよく語っていた。
私は、女性一人を幸せにできない父を軽蔑していた。
あそこの家の娘だと言われるくらい、父はどこでもトラブルを起こした。
私は父に、心から早く死んで欲しいと願っていた。
お父さん、、大きな事件も起こしたね。
家を出た母が、登校中の私を待っていた。
「お母さんと一緒に行く?」
と聞かれ、
「うん!行く!」
と、ランドセルを背負ったまま、2人で母の友人宅にしばらくお世話になった。
父に見つからないかといつも緊張していた。
そして、少し落ち着いた頃に、母の故郷に行くことになり、叔母の家から3ヶ月くらい小学校に通いました。
私は、叔母さん、叔父さん、いとこ達、そして、何より母といれることが嬉しかった。
そして、急に父が現れた。
外に出た私に声をかけてきて、そのまま連れ去った。
それをいとこが見ていて、「サングラスをかけた男性に連れていかれた」と大騒ぎになったと後に聞きました。
誘拐事件として、道路一帯封鎖され、空港に向かおうとしていた父はつかまりました。
車の後ろでウトウトしていた私は、急にライトを顔に当てられ名前を確認された。
とにかく眩しかった。
車を降りても、すごいパトカーの数とそのヘッドライトで、深夜なのに昼間かと思うくらい明るかった。
警察署で、「お父さんとお母さんとどちらといたいか?」と聞かれた時、警察官に詰め寄られ、責められてる父の後ろ姿がせつなくて、「お母さんといたい」とは言えなかった。
当時の新聞にも載ったこと。
結局、父は何が何でも大学までは責任を持って育てると、私を母から切り離した。
空港で母はずっと泣いていた。私は泣くのを我慢した。泣いたら母にすがり、困らせると分かっていたから。
父と2人の生活で、父はちょっとしたことで、私を怒鳴り、叩いた。
私は父を心底に軽蔑していたから、謝るどころかいつも睨み返した。
そして、より父は激昂した。
そんな毎日。
私は悔しくて、そして、憎くて、憎くて、仕方なかった。
父に似ることも恐れた。
母から切り離した父を、口先だけの父には絶対に屈しないと反抗心の塊だった。
命をかけて反発した。
母がよく言っていた。
「あなたが道を踏み外さなかったのが一番の救いだ」と。
私は、お父さんごときで不良になるなんて考えたこともなかった。
早く自立しよう、早く逃げて母の元へ行こうとずっと考えてたから。それしかなかった。
お父さん、、私が18歳でいなくなってから、どう思って過ごしてた? 後悔してた?
あの時は、何も持たず逃げた。
今しかないと思った。
後ろを振り返るのが恐ろしく、情が出るのを拒みながら、走り続けた。
いつか、ケジメをつけに逢いに行こうと思ってたけど、17年経ってしまった。
ずっと元氣だと思ってたし、死ぬようなタイプではないと思ってたから。
でも、お父さんの進む時間と私の進む時間が違っていたと氣づいたのは、役所が私を探しだし、父が危篤だと連絡がきた時。
急いで病院に駆けつけ、17年ぶりに見た父は、酸素マスクを外してしまうからと手をベッドに縛られていた。
胸が張り裂けそうだった。
ずっとそばで見ているからと、手を自由にしてもらっても、私を見た父は、帰れ!と怒鳴った。
それでも、少しずつ受け入れてくれて、最後の4日間を一緒に過ごした。
初めて孫とも対面した父は、酸素マスク越しからもとびきりの笑顔をみせた。
もうダメだと言われてから、何度戻ってきただろう。
生きようとする姿がすごかった。
もう楽になっても良いと言われても、氣合いで自発呼吸して、何度も戻ってきた。
私が逢いに行ったことで希望を持たせ、無理に頑張らせたんじゃないかと辛かった。
最期の時に、叫ぶ私に薄目を開けて、優しい目をした表情が忘れられない。
それから、お父さんの家の片付けに行った時。
何度も引っ越してたのに、カーテンも食器も私がいた時のまま。
学生時代のノートや辞書もほとんど残っていた。
あれだけ苦痛でしかなかった空間が、全て光って見えた。
懐かしさと父への恨みと恋しさをどう扱ってよいかしばらく分からなかった。
そして、投函されてない私宛ての手紙が出てきた。
それは達筆に清書されていた。
手紙には、「もうすぐ誕生日だから何か送りたい。必要なものはないか?連絡が欲しい」という内容だった。
お父さん、、何で投函しなかったのか、今なら分かるよ。
最後は誰にも迷惑かけずにケジメとろうとしてたんだね。
だから、私の連絡先を病院にも決して教えなかったんだね。
父は迷惑をかけない分のお金を遺し、ケジメをつけた。
その生きざま、強さが私の中にもある。
私は、父に、いや社会に、システムに、医療に、大人に、絶望と反抗心の塊だったけど、自分のその闇を意欲に変え、憎しみは慈愛にできると知った。
父が私を管理したのと同じように、私も母と子どもを管理した。
我が身を顧みて、父の氣持ちが今は分かる。 大事だったからだね。
そこから、大切な人には大切だと素直に伝えること。そこに圧力は無意味なんだということを学んだ。
お父さん、、これから私の生きざまを見ていて。
お父さん、ありがとう。
そして、亡き母へ
母といえば、料理。
エプロンして料理してる姿が浮かぶ。そして、花が大好きだった。
余裕がなくても、いつも花を買ってたね。
いつもいつもリュックに料理を詰めて、花を持って来てくれた。
子どもの頃から愛が欲しい、足りないと依存してきた。
父が生活費を渡さなかったから、働きづめだった。
でも、それなのに母はいつも人に与えていた。
私はそれをよく責めていた。これ以上働いて欲しくなかったから。
私は母が全てだった。母だけしか信じれなかった。
父の目を盗んでは、たとえ数分しか逢えなくても逢いに行った。
あと、思い出すのは七五三の時。
母に、「七五三やったことないから、着物きようか?」と聞かれた。
私は、迷いもなく「着なくていい」と答えた。
母は毛糸で可愛いリボンを編んでくれて、それを洋服につけて、お氣に入りのカチューシャをつけて、2人で神社に行った。忘れない。
ぜいたくするなんて、興味なかった。
ただただ、お母さんといたかった。
仕事休んでくれたこと嬉しかった。
私は母に告白したことがあります。
「お母さんが死んだら生きて行けない」と。
そうこうして、私は精神と身体を崩しました。
そこから、本格的に意識の学びに入りました。
お母さん、、情緒不安定だった私に、お母さんはいつも料理を作り、花を飾ってみせてくれたね。
たくさん苦しませた。 母はいつも祈ってた。
母が入院した時も、私が何とかしなきゃ、治さなきゃと焦った。
「その薬は強すぎるよ。輸血なんかダメだよ。先生に流されないでちゃんと断って」と板挟みにさせた。
全てに私は関わった。母の体調を良くする為に、笑顔にする為に生きてきた。
輸血が必要だという時も心配で氣が氣じゃなかった。
母の様子を見に行った時、ちょうど処置が終わった頃で、看護師の方がこう言ってた。
「ずっと食べれなくてお腹すいてますよね。もうすぐ食べれますから」と。
母は、「いえいえ、輸血してもらいお腹いっぱい頂きました。ごちそうさま」と答え笑いが起きていた。
お母さんは明るくてパワーあるね、とよく言われた。
入院してるとは思えないくらい、いつも明るかった。
お母さん、
お母さんは、こういう人間関係を作っていたんだよね。
見返りのないことばかりして何してんだか、全然豊かになれてないと冷めていたけど、最後は飛行機で駆けつけてくれる方々もいた。
みんな母との別れを惜しんでいた。
私はこんな人間関係を築いているだろうか。
お母さんは豊かさの世界にいたんだね。
私だけ小さな世界にいた。
タクシーに乗ってもお釣りはいらない、宅配の人にも何か渡してた。
それも相手の方から頂いたお返しだったんだね。
いつでも誰にでもそうだった。
お母さんは飾らず、豊かだった。
お母さんの底抜けの明るさと、たくましさが私の中にもある。
幼い頃から欲しい、欲しいと求める所から卒業して、これからは与える人になっていくから、見ていてね。
今も、リュックを担いで、花を持って歩いてる姿が浮かぶ。
お母さん、ありがとう。
そして、西の方角にいる家族、子ども、子孫たちへ。
自分本来の姿を知る為にいる近い存在。
たくさん成長を試されてきました。
執着を持ちやすい身内の課題は本当に多いです。
そして、いとも簡単に相手の課題に口を出してしまう。
私は、相手を100%信じるということを課題にしていきます。
ありがとうございます。
そして、南の方角にいる教えを頂いた方々や恩師へ。
私は心身を崩してから、本格的に意識や感情の仕組みを学びました。
「この起きている現象を、今までの人生を、生きる意味を、どうにかしたい」と聞いた時に、
師は、「両手を広げ、全て受け入れなさい」と言われました。
そのまま受け入れるということは難しかった。
でもそれは、自分の全てをゆるす、ということなんですね。
たくさんの氣づきを頂けた先生方、本当にありがとうございます。
そして、北の方角には友人や教えを受け継ぐ方々がいます。
あなたが得た氣づきで、自分の可能性に氣づき、体験し、血肉となった時、初めてあなたの言葉は息を吹き返す。
眠っていた細胞が輝き、光を循環させていくでしょう。
そして、天と地。
父なる宇宙と母なる大地。
父なる宇宙の、太陽、月、星、ひらめき、直感。
父からの神秘のパワー。
そして、母なる大地の地球、植物、動物、大いなる恵み。
私たちは、肉体ある父と母をも包んでいる大いなるものに守られてきた。
父と母と、その間に、わたしがいる。
いつも隙間なく繋がっていた。
片手に父と、片手に母と、両手を繋いでいた。
いつからか、手を離したのは自分だった。
差しのべてくれている手を離した。
本当は少しも離れてはいなかった。
分離なんてしてなかった。
見放されてなんていなかった。
もう一度、確信を持ち、父と母と手を繋ごう。
あなたの中に、私の中に、全てがあった。
最後に、、、
辛いという字に、一本の棒を足すと、幸せ。
そして、弱音を吐くの、吐くの、横の棒を取ると、叶うとなる。
この一本の棒を足すも、取るも、それができるのは自分だけです。
吐くの棒を、勇氣と笑顔で取り、感謝でその棒を辛いと思うことに足したら、幸せになる。
全て自分次第なんだということ。
あなたの肉体を誰も生きてはくれない。
あなたがあなたを生きなければ、あなたはこの宇宙のどこにも存在しない。
そして、大いなる和多志は、あなたが氣がつくのをずっと待っていてくれている。
見守ってくれている大いなる父に両手を伸ばし、大いなる母の上で、心から安心して、たくさんの経験を通して、思いっきり遊ぼう。
あなたがあなたを思い出す過程を楽しもう。
あなたは、永遠だったのだ。
以上で、六方拜とさせて頂きます。
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この後、たくさんの方にシェア、感想を頂きました。
実はこの時に、用意していた音楽が突然消えてしまい、急きょ音楽家の方がピアノの曲を選んでくれ、六方拜をしました。
不思議なことに、たまたまその場で選んだはずの曲でしたが、東西南北、天と地のそれぞれで、ぴったり曲が切り替わり、画面の映像も、内容そのままのものでした。
父と母が選ばせたとしか思えないというシェアと、私が仮に母を選んでいる人生だったら、今日の出逢いとこのような六方拜を聴けなかったと言って頂けました。
そして、最後は皆さんからハッピーバースデーの歌のプレゼントが。
皆さんで決めて用意してくれていたと聞きました。
画面越しから、ピアノを弾きながら、ギターを弾きながら、歌を歌ってくれてる方々が見えました。
本当に温かかった。
忘れられない誕生日になりました。
その中で、保育園に勤めている方が、私の場合は今なら通報され保護が必要なくらいで、実は今の日本ではこのような問題が身近に溢れていて、解決できない葛藤を現場の声として聞かせて頂きました。
そのような環境で、子ども達は軸ができないまま大人になって、悪循環になっていく。
少しでも優しくされたら、簡単に相手を信用してしまい、より傷ついていく。
親を、大人を、信用できない子ども達。
絶対的な安心を知らず、不安定な精神の子ども達。
人肌、ぬくもりに飢えている子ども達。
そうした中で氣づいたことは、実は親も大人も、飢えていたんだということ。
私もこんな絶望的な世の中をどうにかしたいと正義と称して恨みを晴らそうとしてきました。
しかし、逆に、虚しさしかなかった。
自分の飢えをみていかなけれは、先に進めなかった。
原因は外ではなかった。
その先に景色があった。
私にしかみえない世界があった。
人知を越える美しさに触れた。
それは、誰もが内の真実としてみえるもの。
全ての経験は、その景色を見る為に一つ残らず必要だったということを知った。
訪れる体感を知りたかったから、ただ経験があった。
同じように苦しんでいる方や、子ども達へ。
あなたの経験は必ず光に繋がっていく。
あなたの経験は必ず誰かの足元を照らす。
あなたのカラダには、どれだけの叡智があるのかを氣づいて欲しい。
あなたの周りには、神秘的なメッセージで溢れている。
ご縁に感謝いたします。