自分の本音とつながり
誰にも遠慮せずに生きるサポート


異文化コミュニケーション歴20年

 🇩🇪ベルリン在住ライフコーチ

    木村グロース暢子(ようこ)です

>>>自己紹介

 

 
海外でも
その国の言葉ができなくても
子供パートナーがいなくても
 
自立した自分でいる
 
ってどういうことなのか
感覚としてわかった出来事が
ありました
 
 
 
 

ある日のこと。



 

 

犬の散歩で道を歩いていて


唐突に降ってきた感覚がありました。



 

 

それは...

 

 

強烈安心感

 

 

「私ここに住んでる人なんです」



という札を下げている感じ。

 

 

堂々としてていいんだ、

という納得感。

 

 

 

旅行者でも短期滞在の外国人でもなく


「こいつはここの人間だな」

と
認められている安心感

とでも言いましょうか。



 

 

そこで気がついちゃったんですね。



 

 

自分はベルリンに移住してから


犬を迎えるまでの12年間ずっと

 

 



ここにいる確固たる理由や資格が


ないんじゃないかという


妙な自信のなさを


抱えていたということに。



 

 

 

 

例えば、

 

 

日本とドイツの混ざった顔をした


子供を連れて歩いていたなら



 

 

この女性はドイツに根を張って


暮らしている人だと


見られるんだろうなと
、

勝手に条件づけていたことに。



 

 

よく考えると、
これは

ちゃんちゃらおかしい話で、



 

 

子供やパートナーや仕事や


そういう社会的にわかりやすい

「存在」が
あろうがなかろうが


誰にもどこにでも住む権利はある。



 

 

誰にもどこでも


「ここは自分の住む場所」と


堂々としていたっていいはずなのに。



 

 

通りすがりの人が


自分の連れた愛犬に向かって


笑顔をこぼれさせるのを見て

 

 



自分で自分を縛ってきた


思い込みに気がついたのでした。



 

 

どこの国だって


どんな自分だって


堂々としていていい。



 

 

それに気がつくことが、


「自立した人間でいる」ということの


一つの要素なのかもしれません。

 

 

 

もしあなたが海外に住んでいて

現地に馴染んでいない違和感や

いろんなことに妙に遠慮している

感覚があるのなら、

 

ぜひ自分に問うてみてください。

 

 

私は一体、何を持ってして

「現地の人間」であることを

自分に許していないのかと。

 

 

そこに気づくことが

誰にも遠慮せずにのびのびと生きる

第一歩になるはずです。