自分の本音とつながり
誰にも遠慮せずに生きる決断を

完全一対一コーチングでサポート


異文化コミュニケーション歴20年

 🇩🇪ベルリン在住ライフコーチ

    木村グロース暢子(ようこ)です

>>>自己紹介

 

 

本当は色々と言いたかっただろうに、

黙って見守ってくれていたんだな。

 

 

そう気づかせてくれた夫の一言。

 

 

それは、

 

I am so happy to feel

your positive energy again.

(ヨーコのエネルギーが戻ってきて

本当に嬉しい)

 

 

 

「円満夫婦」の要素のひとつに

お互いがお互いの最強応援団長でいる

というのがあると思っていますが、

 

 

声を張り上げて旗を振るだけが

応援ではありません。

 

 

時と場合によっては、
あえて何も言わないことを選択し
 
 
静かに待ってあげることも、
相手にとって一番の応援になる。
 
 
 
この春に私たち夫婦が経験した流産は、
短い妊娠期間を楽しむことができなかった
という後悔もあって複雑な心境でしたが、
 
 
自分でも驚くほど「早く」
心身が回復しています。
 
 
それでも夫にとって、私の悲しむ様子は
側で見ていて本当に辛かったと思います。
 
 
 
夫の言葉で、
 
 
積極的にあれこれと提案したり

励ましたりするのではなく、

 
 
ただただ静かに私の回復を見守って
くれていたことに気がつきました。
 

 


一般的に男性は、何かモンダイが起こると
解決法を提案することが自分の役割だ
考える傾向があるように感じます。
 
 
私の夫も普段だったら、
 
 
「あれしたら?」「これしたら?」
「これが原因なんじゃない?」
 
 
のように、モンダイ解決に向けて
積極的に分析し、動くタイプ。

 

 

 
ただ、流産のような
「どうすることもできない喪失」については、
 
 
(言ってしまえば)落ちた穴から
本人が自力で登ってくるのを
 
 
あえて手を出さずに見守ることしか
できないと思っています。
 
 
上の方から「頑張れ〜」と叫ぶのは

本人が喪失と向き合う時間を

リスペクトしないことだから。

 

 

そして、必要な時間を費やして

自力で回復してきたパートナーに

 

 

がんばったね。

穴から這い上がってきてくれて

本当に嬉しい。

 
 
この気持ちを表現することで、
 
あなたのことが本当に大切だよ、
と伝えることも、一つの大きな
愛のカタチだと思います。
 
日本から持ってきた「お鈴」
リビングで毎朝鳴らしています
 
 
喪失には「完全復活」なんてなくて
これからも折に触れて心の傷と向き合い
涙を流すことも、必ずあると思います。
 
 
それは私だけではなくて夫も同じ。
 
 
お互いの応援団長であることは
そんな相手の涙をちゃんと認識し
涙が乾くまで、側で待っていること。
 
 
それも、私たち夫婦の愛の表現です。
 
 
 
あなたにとって、
愛のカタチは何ですか?