今回はCDの紹介は一休み。
前から気になっていたある事について
まとめてみようと思ったのだ。
ある人がこのように言っていた。
「ベートーヴェンは生前、バッハをとても尊敬していた。
しかし、ヘンデルに対してはそれ以上に尊敬していた」
ふうーん、それはまぁ、そうなのだろう。
言わずもがな、バッハとはJ.S.バッハである。
大バッハとも呼ばれる、音楽の父とも呼ばれる、
あの音楽室の教室に飾ってある
気難しい顔をしてトレードマークのカツラを
かぶっている…そう、あの人である。
ヘンデルは、バッハと同年生まれ(1685年)で
後年ロンドンに渡りオペラ、オラトリオを次々と生み出し
名声を博した同じくバロックを代表する作曲家である。
バッハは1750年没、ヘンデルは1759年没、
そして1770年に生まれたベートーヴェンにとって
自分が生まれる前に音楽で成功し、成果を上げた
「偉大なる先輩」であり、二人とも同じように
尊敬する対象であった事には疑いの余地はない。
しかしながら、「ヘンデルの方がもっと尊敬していた」
と聞けば、「ベートーヴェンにとっては
ヘンデルの曲の方が感銘を得られたという事なのだろう」
…などと思ったりはしないだろうか。
いや寧ろそう思うのが当然なのかも知れない。
しかし、要はそういう事ではないのだ。
先に言っておくが、この「ヘンデルの方が尊敬」
という見方は、恐らく正しいのではと思う。
問題なのは、「ヘンデルの方が尊敬」という発言に
重要な事実が抜け落ちているという事だ。
それは、一体ベートーヴェンはバッハの何を
知っていたのだろう?
また、ヘンデルの何を知っていたのだろう?
と問う必要があるという事だ。
バッハもヘンデルも相当な多作家である。
あの曲は?この曲は?
などと書くとキリがないので
それぞれ一例だけ挙げて考えてみる事にする。
ヘンデルは、傑作と名高いオラトリオ「メサイア」。
作曲当時(1741年)から人気で
何度も編成を変えながらも長期間演奏され、
モーツァルトも知っており、これを編曲し、
ハイドンもこの曲を知って自身の「天地創造」
の作曲動機となり、既にこの時まで
半世紀に渡って人気を誇ったという
破格の大傑作である。
モーツァルトや実際の師匠であるハイドンも
知っていた。そしてベートーヴェンも
「メサイア」を知っており、これを筆写までしている。
ヘンデルを扱った作品もある。
《ソロモン》序曲のフーガの弦楽四重奏への編曲 Hess36
《ユダス・マカベウス》から<見よ、勇者の帰還を>
の主題による12の変奏曲 Wow45
である。
ある日のこと、ベートーヴェンは「これまでの作曲家で
誰が一番偉大か」との問いに「ヘンデル」と
即答したという。
対するJ.S.バッハ。
ヘンデルのメサイアと来れば、比肩しうる
作品としてバッハのマタイ受難曲、と言わざるを得ない。
他にもヨハネ受難曲やオラトリオ、ミサ曲もあるが
昨今の評価ではやはりマタイを最高傑作に挙げる人が多い。
ベートーヴェンはバッハの「マタイ受難曲」を
知っていただろうか。答えは簡単である。
「マタイ受難曲」は1727年に初演。
しかしバッハの死後長く忘れられ、
1829年に(ベートーヴェンは1827年死去)
メンデルスゾーンによって復活上演された話は
有名である。
ベートーヴェンが「マタイ」を知る事はなかっただろう。
バッハの他の作品を見、
「彼はバッハ(ドイツ語で小川)じゃない。
メール(同、大海)だ」と言って評価した
という逸話もあるが、もしも彼が「マタイ」の
楽譜を手にとって見る事があったなら、何と言っただろう。
そればかりか、それまで抱いていたバッハに対する
意識、存在感、評価、全てがガラッと変わる
可能性まであるのではないか。
ベートーヴェンが生きていた当時のヨーロッパで
自分よりも少し前の世代の作曲家の実像、作品、
そういったものをどの程度把握出来るものなのか。
いろいろな事情を可能な限り考えてみても
ヘンデルというのは大都市ロンドンで活動した、
当代随一のメジャーな存在であったと
思われるのに対し、バッハはドイツの片田舎、
教会の為の音楽を粛々と作曲していた、
そんな日々を過ごしていた作曲家、というのでは
その知名度に差がありすぎるように思う。
それに加えて当時は音楽を作品として「残す」
という習慣がなく、文化として根付いていた
わけでもなかったのだ。「マタイ」
が当然のように忘れられた様に。
ベートーヴェンが「マタイ」を知る事がなかったのは
このような背景があった。
現在、我々は彼らの「作品目録」を
見る事が出来る。言うまでもなく、容易く出来る。
輝きを持った、彼らの作品を埋もれさせてはいけない、
後世に伝えなければならない、との想いが
数世代に渡り受け継がれ、徐々に整理され、
今ここに見る事が出来る。
そんな我々が、バッハとヘンデルを比べてみる事は
許されるだろうか。その資格(?)はあるのだろうか。
これで彼らの全貌を知ることが出来る、などと言うのは
言いすぎに違いないが。
だが、こうして重要な作品もほぼ網羅して
知る事が出来るのである。
もしも、当時の人間がこれを見る事が出来たら
どうなるだろう。全く別の世界を覗くような
感覚に陥ったりはしないだろうか。
敢えて言おう。
今も本当に知りたいのは
ベートーヴェンが「マタイ」を知ったら、
楽譜を見たら、何と言うか。
その上で、ヘンデルとバッハのどちらをより評価する?
その答えが聞きたい。
もしもベートーヴェンがバッハとヘンデルの
作品目録を見たら…?
読み終わるまで数週間外に出ないだろう。
前から気になっていたある事について
まとめてみようと思ったのだ。
ある人がこのように言っていた。
「ベートーヴェンは生前、バッハをとても尊敬していた。
しかし、ヘンデルに対してはそれ以上に尊敬していた」
ふうーん、それはまぁ、そうなのだろう。
言わずもがな、バッハとはJ.S.バッハである。
大バッハとも呼ばれる、音楽の父とも呼ばれる、
あの音楽室の教室に飾ってある
気難しい顔をしてトレードマークのカツラを
かぶっている…そう、あの人である。
ヘンデルは、バッハと同年生まれ(1685年)で
後年ロンドンに渡りオペラ、オラトリオを次々と生み出し
名声を博した同じくバロックを代表する作曲家である。
バッハは1750年没、ヘンデルは1759年没、
そして1770年に生まれたベートーヴェンにとって
自分が生まれる前に音楽で成功し、成果を上げた
「偉大なる先輩」であり、二人とも同じように
尊敬する対象であった事には疑いの余地はない。
しかしながら、「ヘンデルの方がもっと尊敬していた」
と聞けば、「ベートーヴェンにとっては
ヘンデルの曲の方が感銘を得られたという事なのだろう」
…などと思ったりはしないだろうか。
いや寧ろそう思うのが当然なのかも知れない。
しかし、要はそういう事ではないのだ。
先に言っておくが、この「ヘンデルの方が尊敬」
という見方は、恐らく正しいのではと思う。
問題なのは、「ヘンデルの方が尊敬」という発言に
重要な事実が抜け落ちているという事だ。
それは、一体ベートーヴェンはバッハの何を
知っていたのだろう?
また、ヘンデルの何を知っていたのだろう?
と問う必要があるという事だ。
バッハもヘンデルも相当な多作家である。
あの曲は?この曲は?
などと書くとキリがないので
それぞれ一例だけ挙げて考えてみる事にする。
ヘンデルは、傑作と名高いオラトリオ「メサイア」。
作曲当時(1741年)から人気で
何度も編成を変えながらも長期間演奏され、
モーツァルトも知っており、これを編曲し、
ハイドンもこの曲を知って自身の「天地創造」
の作曲動機となり、既にこの時まで
半世紀に渡って人気を誇ったという
破格の大傑作である。
モーツァルトや実際の師匠であるハイドンも
知っていた。そしてベートーヴェンも
「メサイア」を知っており、これを筆写までしている。
ヘンデルを扱った作品もある。
《ソロモン》序曲のフーガの弦楽四重奏への編曲 Hess36
《ユダス・マカベウス》から<見よ、勇者の帰還を>
の主題による12の変奏曲 Wow45
である。
ある日のこと、ベートーヴェンは「これまでの作曲家で
誰が一番偉大か」との問いに「ヘンデル」と
即答したという。
対するJ.S.バッハ。
ヘンデルのメサイアと来れば、比肩しうる
作品としてバッハのマタイ受難曲、と言わざるを得ない。
他にもヨハネ受難曲やオラトリオ、ミサ曲もあるが
昨今の評価ではやはりマタイを最高傑作に挙げる人が多い。
ベートーヴェンはバッハの「マタイ受難曲」を
知っていただろうか。答えは簡単である。
「マタイ受難曲」は1727年に初演。
しかしバッハの死後長く忘れられ、
1829年に(ベートーヴェンは1827年死去)
メンデルスゾーンによって復活上演された話は
有名である。
ベートーヴェンが「マタイ」を知る事はなかっただろう。
バッハの他の作品を見、
「彼はバッハ(ドイツ語で小川)じゃない。
メール(同、大海)だ」と言って評価した
という逸話もあるが、もしも彼が「マタイ」の
楽譜を手にとって見る事があったなら、何と言っただろう。
そればかりか、それまで抱いていたバッハに対する
意識、存在感、評価、全てがガラッと変わる
可能性まであるのではないか。
ベートーヴェンが生きていた当時のヨーロッパで
自分よりも少し前の世代の作曲家の実像、作品、
そういったものをどの程度把握出来るものなのか。
いろいろな事情を可能な限り考えてみても
ヘンデルというのは大都市ロンドンで活動した、
当代随一のメジャーな存在であったと
思われるのに対し、バッハはドイツの片田舎、
教会の為の音楽を粛々と作曲していた、
そんな日々を過ごしていた作曲家、というのでは
その知名度に差がありすぎるように思う。
それに加えて当時は音楽を作品として「残す」
という習慣がなく、文化として根付いていた
わけでもなかったのだ。「マタイ」
が当然のように忘れられた様に。
ベートーヴェンが「マタイ」を知る事がなかったのは
このような背景があった。
現在、我々は彼らの「作品目録」を
見る事が出来る。言うまでもなく、容易く出来る。
輝きを持った、彼らの作品を埋もれさせてはいけない、
後世に伝えなければならない、との想いが
数世代に渡り受け継がれ、徐々に整理され、
今ここに見る事が出来る。
そんな我々が、バッハとヘンデルを比べてみる事は
許されるだろうか。その資格(?)はあるのだろうか。
これで彼らの全貌を知ることが出来る、などと言うのは
言いすぎに違いないが。
だが、こうして重要な作品もほぼ網羅して
知る事が出来るのである。
もしも、当時の人間がこれを見る事が出来たら
どうなるだろう。全く別の世界を覗くような
感覚に陥ったりはしないだろうか。
敢えて言おう。
今も本当に知りたいのは
ベートーヴェンが「マタイ」を知ったら、
楽譜を見たら、何と言うか。
その上で、ヘンデルとバッハのどちらをより評価する?
その答えが聞きたい。
もしもベートーヴェンがバッハとヘンデルの
作品目録を見たら…?
読み終わるまで数週間外に出ないだろう。