ヤンソンス指揮 バイエルン放送so.(2007年)

今まで、これを聴かなかったのが勿体ない。
本当に、そう思った。素晴らしいハイドン。

ハイドン最後の交響曲はこれまで
シューリヒト、クレンペラー、チェリビダッケ、
古楽器もホグウッド、クイケンと

挙げれば切がないほどたくさん聴いてきたが
このヤンソンスのCDだけ新しく購入した為だろう、
ほとんど聴いた記憶がなかった。

序奏から情熱がこもり、エネルギッシュだ。
ヤンソンスの音の引き出し方は非常に上手い。

各楽器が意味深く鳴り、
尚且つ決してうるさくなる事はない、
というのは名演の条件でもあるが

これほど見事にコントロールするとは
聴いて驚いた次第である。

ヤンソンスの他の録音も
聴いてみたくなってしまった。

CD:88697412332
C.クライバー指揮 バイエルン国立o. 他(1975年)

音楽は、たまには違った楽しみ方もしたい。
CD棚を眺め、クライバーのこうもりに
目が止まった。愉しい曲が聴きたくなったのだ。

「序曲」から爽快感抜群。
もちろんの事、この曲の大事な要素である
ウィーンの気質もたっぷりだ。

途中までこの録音はウィーン・フィル
だったはずでは…?!

などと勘違いしてしまっていたが
ウィーン・フィル以外でここまで味を引き出す
クライバーはさすがの棒さばきだ。

普段よく聴くのはベートーヴェン、ブルックナー
など重厚なものを好んでいるが
疲れた心を解してくれる最高の時間となった。

CD:4577652
今回はCDの紹介は一休み。
前から気になっていたある事について
まとめてみようと思ったのだ。

ある人がこのように言っていた。

「ベートーヴェンは生前、バッハをとても尊敬していた。
しかし、ヘンデルに対してはそれ以上に尊敬していた」

ふうーん、それはまぁ、そうなのだろう。

言わずもがな、バッハとはJ.S.バッハである。
大バッハとも呼ばれる、音楽の父とも呼ばれる、
あの音楽室の教室に飾ってある
気難しい顔をしてトレードマークのカツラを
かぶっている…そう、あの人である。

ヘンデルは、バッハと同年生まれ(1685年)で
後年ロンドンに渡りオペラ、オラトリオを次々と生み出し
名声を博した同じくバロックを代表する作曲家である。

バッハは1750年没、ヘンデルは1759年没、
そして1770年に生まれたベートーヴェンにとって
自分が生まれる前に音楽で成功し、成果を上げた
「偉大なる先輩」であり、二人とも同じように
尊敬する対象であった事には疑いの余地はない。

しかしながら、「ヘンデルの方がもっと尊敬していた」

と聞けば、「ベートーヴェンにとっては
ヘンデルの曲の方が感銘を得られたという事なのだろう」

…などと思ったりはしないだろうか。
いや寧ろそう思うのが当然なのかも知れない。
しかし、要はそういう事ではないのだ。

先に言っておくが、この「ヘンデルの方が尊敬」
という見方は、恐らく正しいのではと思う。

問題なのは、「ヘンデルの方が尊敬」という発言に
重要な事実が抜け落ちているという事だ。

それは、一体ベートーヴェンはバッハの何を
知っていたのだろう?

また、ヘンデルの何を知っていたのだろう?
と問う必要があるという事だ。

バッハもヘンデルも相当な多作家である。
あの曲は?この曲は?
などと書くとキリがないので
それぞれ一例だけ挙げて考えてみる事にする。

ヘンデルは、傑作と名高いオラトリオ「メサイア」。
作曲当時(1741年)から人気で
何度も編成を変えながらも長期間演奏され、
モーツァルトも知っており、これを編曲し、
ハイドンもこの曲を知って自身の「天地創造」
の作曲動機となり、既にこの時まで
半世紀に渡って人気を誇ったという
破格の大傑作である。

モーツァルトや実際の師匠であるハイドンも
知っていた。そしてベートーヴェンも
「メサイア」を知っており、これを筆写までしている。

ヘンデルを扱った作品もある。

《ソロモン》序曲のフーガの弦楽四重奏への編曲 Hess36

《ユダス・マカベウス》から<見よ、勇者の帰還を>
の主題による12の変奏曲 Wow45

である。

ある日のこと、ベートーヴェンは「これまでの作曲家で
誰が一番偉大か」との問いに「ヘンデル」と
即答したという。


対するJ.S.バッハ。
ヘンデルのメサイアと来れば、比肩しうる
作品としてバッハのマタイ受難曲、と言わざるを得ない。
他にもヨハネ受難曲やオラトリオ、ミサ曲もあるが
昨今の評価ではやはりマタイを最高傑作に挙げる人が多い。

ベートーヴェンはバッハの「マタイ受難曲」を
知っていただろうか。答えは簡単である。

「マタイ受難曲」は1727年に初演。
しかしバッハの死後長く忘れられ、
1829年に(ベートーヴェンは1827年死去)
メンデルスゾーンによって復活上演された話は
有名である。

ベートーヴェンが「マタイ」を知る事はなかっただろう。
バッハの他の作品を見、
「彼はバッハ(ドイツ語で小川)じゃない。
メール(同、大海)だ」と言って評価した
という逸話もあるが、もしも彼が「マタイ」の
楽譜を手にとって見る事があったなら、何と言っただろう。
そればかりか、それまで抱いていたバッハに対する
意識、存在感、評価、全てがガラッと変わる
可能性まであるのではないか。

ベートーヴェンが生きていた当時のヨーロッパで
自分よりも少し前の世代の作曲家の実像、作品、
そういったものをどの程度把握出来るものなのか。

いろいろな事情を可能な限り考えてみても
ヘンデルというのは大都市ロンドンで活動した、
当代随一のメジャーな存在であったと
思われるのに対し、バッハはドイツの片田舎、
教会の為の音楽を粛々と作曲していた、
そんな日々を過ごしていた作曲家、というのでは
その知名度に差がありすぎるように思う。

それに加えて当時は音楽を作品として「残す」
という習慣がなく、文化として根付いていた
わけでもなかったのだ。「マタイ」
が当然のように忘れられた様に。

ベートーヴェンが「マタイ」を知る事がなかったのは
このような背景があった。


現在、我々は彼らの「作品目録」を
見る事が出来る。言うまでもなく、容易く出来る。

輝きを持った、彼らの作品を埋もれさせてはいけない、
後世に伝えなければならない、との想いが
数世代に渡り受け継がれ、徐々に整理され、
今ここに見る事が出来る。

そんな我々が、バッハとヘンデルを比べてみる事は
許されるだろうか。その資格(?)はあるのだろうか。
これで彼らの全貌を知ることが出来る、などと言うのは
言いすぎに違いないが。

だが、こうして重要な作品もほぼ網羅して
知る事が出来るのである。
もしも、当時の人間がこれを見る事が出来たら
どうなるだろう。全く別の世界を覗くような
感覚に陥ったりはしないだろうか。

敢えて言おう。
今も本当に知りたいのは
ベートーヴェンが「マタイ」を知ったら、
楽譜を見たら、何と言うか。

その上で、ヘンデルとバッハのどちらをより評価する?

その答えが聞きたい。

もしもベートーヴェンがバッハとヘンデルの
作品目録を見たら…?

読み終わるまで数週間外に出ないだろう。

ワルター指揮 ニューヨーク・フィル ウエストミンスター合唱団・他(1948年)

やはり、この偉大な曲に手が伸びてしまった。

CDもだいぶ買い集めた頃、
ショップの棚で発見したのは
このワルターのCD。

噂には聞いていたが、内容は素晴らしいが
音が悪かったせいもあり
暫く市場に出る事の無かった録音だ。
もちろんの事、飛びついて購入した。

「キリエ」から音の問題は感じる事なく
歌心に満ちている。

「グロリア」の勢いが素晴らしく、
一体となった名演。
長大なフーガもドラマティックだ。

この「グロリア」と「クレド」のフーガ部分は
全曲を通しての最大の聴きどころと言えるが
惜しい事にここで音の問題が顔を出す。
若干ではあるが録音レベルが安定せず、
気になってしまう。戦後間もない頃の
録音なのでこれは我慢しよう。

ベートーヴェンと共に天の頂に到達したい。
そう思った時、私はこのCDを選ぶだろう。

CD:Music&Arts CD-1142 (KDC5007)
コラボ指揮 グルベンキアン管弦楽団・合唱団 他(1988年)

ベートーヴェンの「ミサ曲」と言えば
誰でもミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)
を思い浮かべるに違いない。

しかしベートーヴェンは1807年に
この「ミサ曲ハ長調」を作曲している。
次々と傑作を世に送り出し、
作曲家として最も脂の乗った時期である。

ところがこの「ミサ曲ハ長調」は
今日では一定の評価を得ているものの
演奏機会にも恵まれず
全く目立たない作品となってしまっている。

これはやはり後年の大作である「ミサ・ソレムニス」が
あまりに偉大すぎ、影に隠れてしまったのだろう。

だがあえて言おう。この曲を聴かないのは勿体無い。

そう思ってCDを探したが1枚しか持っていなかった。
録音の数も少なく、恐らく「ミサ・ソレムニス」の
10分の1も無いのではないか。

その1枚が、このコラボ指揮の録音だった。
コラボと言えば合唱曲の指揮では特に
有名な人である。

このCDを買う時も「コラボならば安心、無難」
という気持ちからだったと思うが
全くその通りであった。

歌声は優しく、強すぎず、
合唱曲の録音ではオーケストラと合唱、独唱の
音のバランスも大事だがそれも申し分ない。

あえて言うとなれば合唱が僅かに
ボヤケ気味である事か。
もう少し明瞭であればより良かったのだが。

曲中でハッと思ったのは「アニュス・デイ」。
「ミゼレーレ・ノービス」でのティンパニー連打は
「ミサ・ソレムニス」を彷彿とさせた。

CD:2564 62081-2(apex)
クナッパーツブッシュ指揮 ウィーン・フィル(1958年)

楽友協会でのライブ。
音質は同年のザルツブルクライブとは
比べ物にならず、クナの全ての「第3番」
の中でもダントツに良い。

クナの表現もよく分かる。
第3楽章は最初から泣いており、
弦のうねり、甘さ、柔らかさは最高で、
これ程の情感は他盤では聴けない。

終楽章。これはなんという熱い音楽だろうか。
このクナの表現を聴いて初めて
そう言い切れるのだ。

このような音楽を、一直線にアゴーギクもなく
さらっと演奏してしまうのであれば
私は間違いなく興醒めするだろう。

CD:RIPD-0006 (ドリームライフ)
クナッパーツブッシュ指揮 ウィーン・フィル(1958年)

ワルター&ウィーン・フィルを聴くうち、
ブラームスの第3番に入り、
ついにクナへと辿り着いてしまった。

ブラームスの交響曲第3番という曲は
クナの指揮によって真価がわかったといえる自分にとっては
当然の流れだ。

クナの「第3番」は得意としていただけに録音も多く、
ベルリン・フィルにも42年盤、44年盤、50年盤とあり、
うち44年盤と50年盤は同曲の破格の名演として
記憶に残っている。

が、今回はウィーン・フィルをピックアップしたいので
58年のザルツブルクライブ、同年の楽友協会ライブを聴こう。

冒頭から、他の指揮者とはワケが違う。
1つ目、2つ目の和音の強烈な溜め。
いったい何が始まるのかと思えば、主部から
さながら大洪水の如く音が溢れ出す。

クナを聴いたことのない人には全く違う曲に聴こえるに
違いない。大地が割れんばかりの迫力がここにある。

ザルツブルクでのライブという事もあり、この時期(58年)
にしては音が不鮮明で、ベルリン・フィルの
44年盤、50年盤にも劣るのが残念なところだ。

それでも表現の偉大さは感じ取れるし、中でも第3楽章後半、
主部の弦のユニゾンの素晴らしさが心に残った。

何という歌いまわしだろう。
少なくともワルター時代(~38年)には
聴かれる事のなかったヴィブラートだ。

音の点も含め、楽友協会ライブ盤(ドリームライフ)
に期待しよう。

CD:GM4.0039
ワルター指揮 ウィーン・フィル(1936年)

すっかりハマってしまったワルター&ウィーン・フィル。

本当は更に有名なアイネ・クライネ・ナハトムジークを
聴こうと思ったのだが探してもCDが見当たらないではないか!?

更には持っていたかどうかもはっきり思い出せない始末。
そこで出て来たのがこのCDだ。

戦前のこの時期、ウィーンはナチスの支配下に入るが
ユダヤ人であるワルターは1938年に<軍隊>、
<大地の歌>などの名演奏を残してウィーンを離れる。
そしてこのブラームスの第3番は1936年の録音だ。

聴いてみたが、残念ながら音質が良くない。
CDは復刻に定評のある「Opus蔵」だが、
元の音源によるノイズはどうにもならない。
それでも復刻はうまくいっているようで
肝心な音楽の魂は十分に伝わってくる。

1936年~38年という期間にも録音技術の
変化が著しくみられるのだと専門の人が言うが、
これは気づいていなかった点である。

38年録音の<軍隊>の方が、36年録音の<第3番>より
ノイズも少なく聴きやすいのは、たまたま状態が悪かった
としか思っていなかったのだが、今後は注意して
聴いてみるのも面白そうだ。

<軍隊>では楽器の音色の魅力が余すところ無く
伝わってくるが、ワルターの指揮の下、
ウィーン・フィルと一体となっている姿が
最も伝わってくるのはこのCDだろう。

次に興味が沸いたのはクナッパーツブッシュが
同じウィーン・フィルを指揮した第3番。
ブラームスの第3番といえばクナ無しには考えられない。

もう一つはワルターの53年のニューヨーク・フィル盤。
オケの違いも大きいが、やはり変化を楽しみたい。
順番に聴いていくことにしよう。

CD:OPK2054
ワルター指揮 ウィーン・フィル(1938年)

この録音、長い年月を経て再び聴きたいと思ったのは
幾つか理由がある。

ワルター、トスカニーニと聴くうちに

「オーケストラがヴィヴラートをつけて演奏するようになったのは
いつ頃からなのか」

という、いまだにはっきりしないオーケストラ演奏の変遷について
気になってきた事。

もう一つは、この時期のウィーン・フィルの独特の味わい、
その音は極上であり他では決して味わう事の出来ない演奏を
堪能したかったのだ。

前者については、これからも戦前から戦後にかけての録音を
聴いていく中でなんとなく掴むことが出来ればいいと思っている。

これに限らず、音楽を分析的に聴く事ほどつまらない事はない。
直感的に、ただただ無心で聴くのが良いのだ。

さて、このワルターの軍隊も絶美な音で有名な録音であるが、
序奏の入りから、初めのH音から息をのむ。

なんと素晴らしい音だろう。

こんな音で演奏が始まる。
すでに別世界への入り口に立っているのだ。

主部の管楽器は最高の微笑みであり、
更に愉悦的な第2主題の魅力は何と言い表せばよいのだろう…?
決して忘れる事の出来ない遠い夢のように感じられた。

この頃のウィーン・フィルとワルターの素晴らしさを
これ程堪能出来る録音が他にあるだろうか。

この時期の録音にしては状態が良いのも嬉しい。

CD:TOCE-9529
トスカニーニ指揮 NBC交響楽団(1939年)

昨日のワルターの演奏を聴いて
トスカニーニを聴いてみたくなった次第。

トスカニーニといえば言わずと知れた大指揮者。
クラシックを聴き始めた頃、RCAから限定再発という形で
大量に出回っていたので一通り揃っている。

当時からトスカニーニよりはフルトヴェングラーに
夢中になっていたので、そこまで聴き込んではいなかったが
真に迫力のこもったストレートな表現は
脳裏に焼きついている。

大指揮者が生まれたのは1867年。
90歳で亡くなるまで指揮を続けた。

晩年の録音も多く残されているが
この録音は70代前半のものだ。

最晩年の録音も凄いが、このCDでは
脂の乗った時期のトスカニーニが堪能できる。

これ程の迫力のこもった演奏は他にあるだろうか?
“凄まじい”の一言である。

CD:BVCC-9703