前回の続きです。まだの方はこちらからお読み下さい↓
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小学校5年生の夏休み前、私たちは学校の行事で伊豆大島に数日間滞在することになりました。初めての修学旅行です。
盛りだくさんの数日はあっという間に終わり、帰りのフェリーは東京の竹芝埠頭に近付きました。港にお迎えの父兄が並んでいるのが見えて、まだ幼かった私たちは大喜び。
「お母さんだ!」
「チロも来てる!」
と歓声が上がります。
私も迎えに来ているはずの父の姿を探しながら
「わ~い、ヤッホー!」
と父に見えるように両腕をブンブン振り回しました。
そして桟橋に降りた子どもたちは次々と家族の腕の中に飛び込んで行きました。
現地解散だったので、駅に向かったり車に乗り込んだりと、段々人数が減って行きました。早くも人の姿が消えた桟橋で家族に会えなかったのは、私一人のようでした。
「どうしたの?お迎えの人が来てないの?」
よく知らない家族が心配そうに声を掛けてきました。
「ううん!違うの!お父さんとは駅で待ち合わせているの!」
とっさに嘘をつきました。
「だったら駅まで一緒に行きましょう。もう暗いんだから、一人で行くのは危ないわ。」
とおばさんが言ってくれました。
桟橋も、駅までの道のりも街灯が少なかったので本当に助かりましたが、私は心細さで泣きそうでした。でも話をしたこともない隣のクラスの男の子に涙を見せる訳にもいかず、私はお泊り用のボストンバッグを胸に抱え、わざと小さく鼻歌を歌いながらスキップで一家の後に続きました。
「お父さんが来るまで一緒に待ってあげるから…」
駅でおばさんが何度も言ってくれましたが私は、
「いいの、いいの!お父さんとはいつもこのお店の前で待ち合わせているんだから!」
と不可解な嘘を付き、名前も思い出せない男子に、
「送ってくれてありがとう!また明日ね!」
と明るく手を振りました。
「お父さんに忘れられてしまった可哀想な女の子」と思われたくないプライドの方が、一人ぼっちになる不安よりもずっと大きかったのです。一家が人混みの中に消えると私はすぐに公衆電話から母に電話を掛けました。
「はい、もしもし?」
母の声が聞こえた瞬間、涙が溢れました。
お…おがあざあん…グスッ
いま浜松町の駅だけど、おどうざんがまだ…
もうみんな帰っちゃったのに…おどうざんだけ…まだ…
「あらやだ。またなの?」
そう。実は父は待ち合わせに遅刻する常習犯だったのです。
毎日同じ時間に出勤するのは大丈夫なのに、いつもと違う場所、違う時間になるととたんに大遅刻。一体どういうつもりなのかさっぱり分かりませんが、早めに到着して現地で時間をつぶすという発想は一切無く、相手を待たせて問題だなんて思ってもいないのです。
その上、父の勤め先は残業も無いゆるい会社で、浜松町からたった二駅。フェリーの到着は普通に定時に会社を出ても余裕で間に合う時間でした。逆に遅刻をする方が難しいくらいです。
「あと10分待ってお父さんが来なかったらもう一度電話しなさい。知らない人に付いて行っちゃダメよ。」
母が電話を切ろうとしたその時、私を見付けてエヘラエヘラと笑いながら階段を降りてくる父の姿が見えました。
※画像はイメージです。
出典:チャージマン研!より
「あ〜〜お父さん来たぁ〜!!」
「あら良かった。またあとでね。」
父は真っ直ぐ私の方にやって来ると、
「お帰り。大島は楽しかったかい?」
と嬉しそうに尋ねました。
えぇっ?!
ちょっ…楽しかった思い出をお父さんが全部ぶち壊したんじゃん!
と言いたいとこでしたが、私は捨てられた仔犬のように、
ひぃ〜ん
という情けない声で泣くことしかできませんでした。
そんな私の事を父は何も言わずにギュッと抱きしめてくれました。
いや何か言えよ💢
と強く思いましたが、父の大きくて温かい手でポンポンと頭を撫でられるともう何もかもどうでも良く、またいつものように父のことを許してしまうのです。全く憎らしいくらい得なキャラです。
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家に着くと今度は母のお説教タイムです。
父は一切の反論もせず、意味もなく優しく微笑んでいます。決して母の怒りを静める作戦などでは無く、娘の私が断言しますが本当に何も考えていないのです。
もちろん100%父が悪いのですが、はたから見てるとヒステリックな口うるさい鬼嫁に一方的に責め立てられる善良な旦那にしか見えません。
そんな父母の様子を眺めながら我々三姉妹はお土産のお菓子をほおばっていました。
そのお菓子は伊豆大島の名産、椿の花を型どった可愛くて美味しいお饅頭でした。
おしまい。
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