私の父は一言で言えば優しい。
それ以外の特徴が無いのでは、というくらい優しい。
そして大抵ちょっぴりヘラヘラしている。
物事をあまり深刻にとらえていない証拠だ。
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私の母は暴君だった私の祖父の事がイヤでたまらず、結婚するならとにかく優しい人、というのが目標でした。そういう意味では母は最高のパートナーを見付けたと言えます。しかし、私の父は優しいだけでなくスリムで背も高くハンサム(死語w)。こんな男性がモテない訳が無い。
案の定それが原因で後に離婚する事になりますが、今回はそのような話ではなく、父の危機管理能力について書きたいと思います。
※画像はイメージです。
出典:チャージマン研!より
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これは母に聞いた話ですが、姉がまだ一歳になるかならないかの頃、父が姉に巨峰を食べさせていたそうです。房から一粒取っては姉の口に当て、中身をチュッと吸い取らせるという誤飲確実な、超危険な与え方。
別室にいた母がふと静かになった居間を覗くと、真っ青に固まった表情の姉を前に、巨峰の皮をつまんだまま呆然と姉を見つめ続ける父。
「何やってるの~!!」
母は父を押しのけると、姉を逆さ吊りにして背中をバンバン叩きました。
ウェ〜ン
泣き出した姉の口から大きな巨峰が転がり落ち、事なきを得ました。
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次は私が3歳の頃です。
私は父の自転車の荷台に腰掛けていました。子供用のシートなどは無く、足をブランブランとさせていたのを覚えています。
軽快に走っていた自転車が突然強い衝撃と共にガクンと止まり、私と父はそのまますごい勢いで歩道に投げ出されました。
何と私の足が車輪のスポークに巻き込まれ、その衝撃で自転車が倒れたのです。
苦手な人もいると思うので怪我の詳細については控えますが、今でも右足のくるぶしに大きなケロイドのような傷跡が残っています。
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今度は4、5歳の頃。
私たち一家は以前に住んでいた横浜元町の友人一家を訪ねていました。
お昼は皆で中華街で食事をしましたが、眠くなってグズり始めた妹を父が散歩に連れ出しました。なかなか戻って来ないので、我々一行はそのままお茶を飲む予定だった友人宅に向かうことにしました。そして大通りに出た時、妹を抱っこした父が道の反対側から大きく手を振ったのが見えました。
お父さんが呼んでる!
その瞬間私は父と妹のいる方向へ、脇目も振らずに車道へ飛び出しました。
キキキーッという急ブレーキの音が聞こえ、私の身体はゴムまりのように跳ね上がりました。
目の前に停まった乗用車から青ざめたおじさんが飛び出し、悲痛な表情で私の元に駆け寄ったのを覚えています。
私はすぐに目の前にあった総合病院に運び込まれ、処置室に寝かされました。私の衣服を安全に脱がせるために大きなハサミを持った看護師さんが近付いて来た時、何をされるのか分からなかった私は、
「お腹切らないで!お腹切らないで!」
と大声で泣き叫んで抵抗しました。着ていた服はぎょっとするほど血まみれでしたが、奇跡的に骨折も無く、すり傷だけで済んだようです。ただ、跳ね飛ばされた時に顔面で着地したようで、今でも消えない細かい傷が顔に沢山残りました。
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他にも父の不注意で怪我をしたり迷子になった体験はその後も何度もありますが、きりがないので来週は小学5年生の時の出来事を書きたいと思います。
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