80年代に、まだ新しかったワーキングホリデー制度(以下ワーホリ)を利用して若いJW二世が海外に出る事が流行っていました。
表向きは海外在住日本人への宣教活動という大義名分がありましたが、実際は息苦しい日本を飛び出して自由を謳歌したいという二世たちの強い願いがあったはずです。
私も例にもれず二十歳になったらA国に行く事を公言しており、母に反対されないようにJW活動に熱心に取り組んでいました。いずれにしても18歳でバプテスマを受けて間もない私は当時かなり本気でJWの教えを信じていたので、エホバ神に喜んでもらいたい、立派な証人として仲間の信者に認められたい、という動機も同時にありました。
さてその頃、A国でJW研究生となり、帰国した30代の新米姉妹の紹介で見栄晴(仮)兄弟と知り合う機会がありました。もしかしたら歳の近い私達をくっつけたい、というサービス精神もあったのかもしれません。兄弟は私より2歳ほど年上で、1~2年の語学留学を終えて一時帰国中、そして改めてワーホリビザを取ってA国に戻る予定だった、言わば海外組の大先輩でした。
過去のブログを参照して頂ければ分かりますが、当時私の周りには恋愛対象となるような兄弟は皆無で、楽園が来るまで恋愛も結婚も無理だろうとすっかり諦めてたのです。
プー子の恋愛事情はこちら↓
そんな時に知り合った見栄晴兄弟はとても新鮮で、魅力的に見えました。
雰囲気的には…
出典:課長 島耕作 コミックス STEP1 カラーに口紅 より
島耕作?
シュッと洗練されていてコミュニケーション能力も高く、それでいて面白い事をバンバン言って笑わせてくれる。知識が豊富で英語堪能、ピアノも上手、そして若いのにすでに「奉仕の僕」という役職(?)にも就いており、JW的にも申し分の無い青年でした。
関西に実家がある見栄晴兄弟は、成田空港から出国するために我が家の宿舎に数日滞在しました。
我が家の宿舎の説明はこちら↓
滞在中は先述の新米姉妹と私、他にも何人かの開拓者たちと一緒に野外奉仕に出掛けたり、集会の準備をしたり、主にJWとしての活動をして過ごしました。見栄晴兄弟は30代の新米姉妹とエンドレスで冗談を言い合っては大笑いしていましたが、私に対してはとても遠慮がちに礼儀正しく接してくれて、誠実な兄弟なんだな〜と好印象でした。
いいなあ、こんな立派な兄弟と結婚できたら幸せなんだろうな〜と、漠然とした憧れを抱きつつ、まだバプテスマを受けて一年未満の19歳なんて、きっと眼中に無いだろうと最初から諦めていました。それに、見栄晴兄弟は自身の目標としてJW世界本部のブルックリン・ベテルを目指していると言うのです。
兄弟ならこの狭き門もきっと大丈夫!と心から応援したい気持ちがあったので、間違っても邪魔してはいけない、自分の好意を見せてはいけないと早くも決意していました。
ところが兄弟がA国に渡って間もなく、私宛に手紙が届いたのです!
現地の会衆のこと、奉仕中のエピソードなどが楽しそうに綴られていて、最後に「プー子ちゃんも早くおいで。きっと楽しいよ」と書かれていました。
キャ~ン、ミイく〜ん
私はすっかり舞い上がってしまいました。
見栄晴兄弟は親しい人達からミイくん(仮)と呼ばれていて、
私も「僕の事、ミイくんって呼んでね☆」と言われていたのです。
何がミイくんだよ
ふ ざ け る な💢
おっと失礼、つい心の声が。
続きます。