(劇評・12/4更新)「それでも憧れは捨てられない」原力雄 | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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この文章は、2020年11月21日(土)20:00開演のMIREI / LAVIT『Separate』についての劇評です。

MIREI / LAVIT『Separate』(作・演出:中元ミレイ、振付:LAVIT)は、高校生くらいのボーイッシュな女の子(Hiroka)と彼女が憧れる同年代か少し上くらいの女性アイドル(Sena)の関係性をドラマとダンスで表現した作品だ。YouTube動画としてオンライン公開されているほか、映像に合わせてダンサー2人が踊るパフォーマンスも金沢市民芸術村ドラマ工房で行われた。

女子高生は飲食店でバイトしながら、稼いだお金でゴシックロリータ雑誌を買い、そこに掲載されたアイドルの写真を切り抜いてスクラップ帖を作ったりしている。撮影会ではカメラを構えてアイドルに急接近することも。そんなある日、彼女の思いを込めた手紙にアイドルから返事が来た。2人だけで過ごす夢のような時間。いつもイベントに顔を出す彼女をアイドルも認知していて、すごく喜んでくれた!ほぼ同年代なので、ガールズトークもはずむ。あらためてアイドルを間近から見ると、なんて綺麗なんだろう。そっと、彼女の髪に触れてみる。いい匂いがする……。気がついたら、抱きついていた。自分がしでかしたことの重大さを悟ったのは、アイドルがスッと離れて席を立った瞬間だった。一人で取り残され、後悔の淵に沈む。今まで人生のすべてをアイドルに捧げてきたのに、これでもう何もかも終わったのだろうか?

一方で、どうにか面倒なファンから逃げ出したアイドルは、一分の隙もないゴスロリ・ファッションに身を包み、街並みを闊歩する。彼女の全身から「私のお仕事は、アイドルです!!」というオーラが滲み出ていた。アイドルとファン。お互いなくてはならない存在のはずだが、たとえ同じ場所で同じ空気を吸っていたとしても、2人の間には容易に乗り越えられない壁が立ちふさがっている。やがて女子高生は、あれほど夢中で読んでいたゴスロリ雑誌をゴミ箱へ投げ込んでしまう。現実に目覚め、大人になったということだろうか。

ドラマの合間に挿入されたダンスは、MIREIとLAVITが左右両サイドに分かれ、周囲に張り巡らされた壁の存在を確かめるように両手でなぞるパントマイムから始まった。MIREIは黒い衣装に身を包み、顔が隠れるくらいに前髪を伸ばしている。怒りをたぎらせ、前髪を激しく揺らしながら、壁を蹴るような動作が迫力満点だった。LAVITは白い衣装で髪をおかっぱボブに切り揃え、微笑を浮かべながら、ゆったりと踊る。両腕をしなやかに交差させながらヒラヒラと蝶が飛ぶように動かしたり、空から落ちてくる雨の雫を手のひらで受け止めるようなダンスが印象的だ。

音楽はKantaroによるオリジナル曲であり、どこか懐かしさを感じさせるレトロなシティサウンド。悲しげに歌い上げるサックス(演奏:Taisetsu Ueno)の響きは、ヒロインの傷ついた心の襞を一つひとつ柔らかになぞってくれる。Hirokaとこのサックス演奏は抜群に相性が良い。動画を見終わった後も、私の脳内では彼女の表情が何度も浮かんでは消えたが、そのたびごとに必ずサックスの旋律が一緒に再生されていた。

動画の概要欄によれば、タイトルの「Separate」には「隔たり」の意味があるという。例えば、好きな人との間に横たわる距離感。それは一般的にはネガティブなものと思われるかもしれない。だが、本当にそうだろうか。私がよく視聴するK-POPの界隈にも「サセン」という韓国語のスラングがある。追っかけが高じ、アイドルのプライベート空間にまで遠慮なく押しかけて行く過激なファンのことだ。また、熱烈だったファンが反転して「アンチ」となるケースも珍しくない。SNSなどで私生活に関するデマを拡散されたり、言葉の暴力を受けたアイドルが精神に異常を来した挙句、自死に至る悲劇も実際に起こった。いくらファンでも適度な距離感を忘れてはいけないという思いが最近は強い。

舞台上の公演では、正面のスクリーンに動画を映しながら、その前でMIREIとLAVITが踊った。ダンスと映像がシンクロする様子も面白かったが、私は特に映像が終わった後の場面が興味深かった。そこではやはり2人は左右に分かれていたが、LAVITが黒、MIREIが白と衣装が逆転しただけでなく、髪型もダンスも淡々として大人しくなった。LAVITの顔から微笑が消えている。やはり乗り越えられない壁がある現実を受け止めなければならないという諦念のように感じられた。そう言えば、動画の中で、女子高生がアイドルの雑誌に読み耽っていた時、誰かが同じ雑誌を捨てていたシーンを思い出した。だとすれば、まさに今また別の誰かが熱心にページを繰っていてもおかしくはない。巡り巡って、今度はあなたがアイドルにハマってしまうかもしれない。人間が誰かに憧れる気持ちは決してなくなることがないのだから。

(以下は改稿前の文章です。)

MIREI / LAVIT『Separate』(作・演出:中元ミレイ、振付:LAVIT)は、高校生くらいのボーイッシュな女の子(Hiroka)と彼女が憧れる同年代か少し上くらいの女性アイドル(Sena)の関係性をドラマとダンスで表現した作品だ。YouTube動画としてオンライン公開されているほか、映像に合わせてダンサー2人が踊るパフォーマンスも金沢市民芸術村ドラマ工房で行われた。

女子高生は飲食店でバイトしながら、稼いだお金でゴシックロリータ雑誌を買い、そこに掲載されたアイドルの写真を切り抜いてスクラップ帖を作ったりしている。そうやって自分で楽しむだけでなく、ファンレターを送り、実際にアイドルと会って写真を撮らせてもらったりとかなり積極的なオタ活動を展開している。アイドルの方も彼女が自分を好きでいてくれることが嬉しく、同年代ということもあって一緒にいるだけで楽しい。とは言え、アイドルにとってその時間は仕事の延長みたいなものだ。個々のファンに対して感謝以上の感情を抱いているわけではない。その気になって興奮したファンが、手を伸ばして髪を触ったり、抱きついてきたりした時にはスッと離れて席を立つしかない。どうにか面倒なファンから逃げ出した後、一分の隙もないゴスロリ・ファッションで街並みを闊歩するアイドル。「私のお仕事は、アイドルです!!」というオーラが全身から滲み出ていた。

それに対し、ファンの女子高生は、人生のすべてをアイドルに捧げてきたのに、両想いになれず、落胆が大きい。アイドルとファン。お互いなくてはならない存在のはずだが、たとえ同じ場所で同じ空気を吸っていたとしても、2人の間には容易に乗り越えられない壁が立ちふさがっている。やがて女子高生は、あれほど夢中で読んでいたゴスロリ雑誌をゴミ箱へ投げ込んでしまう。現実に目覚め、大人になったということだろうか。

ドラマの合間に挿入されたダンスは、MIREIとLAVITが左右両サイドに分かれ、周囲に張り巡らされた壁の存在を確かめるように両手でなぞるパントマイムから始まった。MIREIは黒い衣装に身を包み、顔が隠れるくらいに前髪を伸ばしている。怒りをたぎらせ、前髪を激しく揺らしながら、壁を蹴るような動作が迫力満点だった。LAVITは白い衣装で髪をおかっぱボブに切り揃え、微笑を浮かべながら、ゆったりと踊る。両腕をしなやかに交差させながらヒラヒラと蝶が飛ぶように動かしたり、空から落ちてくる雨の雫を手のひらで受け止めるようなダンスが印象的だ。音楽はKantaroによるオリジナル曲であり、どこか懐かしさを感じさせるレトロなシティサウンド。悲しげに歌い上げるサックス(演奏:Taisetsu Ueno)の響きは、ヒロインの傷ついた心の襞を一つひとつ柔らかになぞってくれているようだ。

動画の概要欄によれば、タイトルの「Separate」には「隔たり」の意味があるという。例えば、好きな人との間に横たわる距離感。それは一般的にはネガティブなものと思われるかもしれない。だが、本当にそうだろうか。私がよく視聴するK-POPの界隈にも「サセン」という韓国語のスラングがある。追っかけが高じ、アイドルのプライベート空間にまで遠慮なく押しかけて行く過激なファンのことだ。また、熱烈だったファンが反転して「アンチ」となるケースも珍しくない。SNSなどで私生活に関するデマを拡散されたり、言葉の暴力を受けたアイドルが精神に異常を来した挙句、自死に至る悲劇も実際に起こった。いくらファンでも適度な距離感を忘れてはいけないという思いが最近は強い。

舞台上の公演では、正面のスクリーンに動画を映しながら、その前でMIREIとLAVITが踊った。ダンスと映像がシンクロする様子も面白かったが、私は特に映像が終わった後の場面が興味深かった。そこではやはり2人は左右に分かれていたが、LAVITが黒、MIREIが白と衣装が逆転しただけでなく、髪型もダンスも淡々として大人しくなった。LAVITの顔から微笑が消えている。やはり乗り越えられない壁がある現実を受け止めなければならないという諦念のように感じられた。そう言えば、動画の中で、女子高生がアイドルの雑誌に読み耽っていた時、誰かが同じ雑誌を捨てていたシーンを思い出した。だとすれば、まさに今また別の誰かが熱心にページを繰っていてもおかしくはない。巡り巡って、今度はあなたがアイドルにハマってしまうかもしれない。人間が誰かに憧れる気持ちは決してなくなることがないのだから。