(劇評)「彼女が笑顔になる日」中村ゆきえ | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
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この文章は、2020年11月21日(土)20:00開演のMIREI / LAVIT『Separate』についての劇評です。


 見終わった直後に感じたのは、生の公演はいいなぁということだった。MIREI / LAVITは映像作品と劇場でのダンスパフォーマンスをバランスよく合わせて『Separate』の世界を表現した。映像作品は主演のひ3かの演技に引き込まれたし、見ごたえがあった。でもやはり生のパフォーマンスはいい。映像に映るMIREI / LAVITとパフォーマンススペースで踊る二人は同じだけど、人としての質感とエネルギーの圧力に大きな差がある。オンラインでも配信できる映像の強みとともに生の凄みを同時に感じることができる、今の状況だからこその作品だ。
 この作品は主な部分は映像作品からなっている。登場するのは主役の女の子とワンピースの女の子(Sena)、そして白い衣装のLAVITと黒い衣装のMIREIだ。主役の女の子はごく普通の生活をしている。飲食店でアルバイトをし、本屋で好きな雑誌を買って帰る。楽しそうに雑誌を読んだり手紙を書いたりして過ごす。その彼女のそばにいるのが黒い衣装のMIREIだ。表情はどこか暗い。ダンスは荒々しく激しい。主役の女の子のふんわりとした明るい雰囲気にそぐわない。MIREIのパフォーマンスからは不安のようなものを感じた。それは女の子を心配しているようにも見えた。
ワンピースの女の子は西洋のお人形のようにかわいい女の子だ。主役の女の子が買った雑誌に載っていてもおかしくないような容姿で、主役の子は近い距離で熱心に写真を撮る。時折映り込むレンガの建物や幹の太い木々やあたたかな太陽の日差しは二人のビジュアルに合っている。ただこの時期の金沢でこの天気は奇跡だななどという余計なことも頭の隅で考えた。そう思うとキラキラした映像が不似合いで不安定に感じる。なんとなく不安を感じるようなところがMIREIのダンスを見たときの不安と似ていた。
LAVITが現れたのは女の子が自室に戻ってからだ。楽しそうに雑誌を切り抜く女の子の周りで、彼女の気持ちに沿うように笑みを浮かべやさしく踊る。指でハートを描き、ワンピースの女の子への恋心を応援しているようだった。恋心を露にしたとき、ワンピースの女の子は去って行った。主役の女の子の目が彼女のショックの大きさをとてもうまく表現していた。このとき胃の上のほうをつかまれるような感じがして、本当に切なかった。
印象的な小道具が二つある。一つは主役の女の子が買った雑誌「ゴシック&ロリータバイブル」、もう一つは作品の中で女の子が書いていた手紙だ。手紙は枕元に置いて就寝すると、MIREIがそっと持ち去った。そして別の日にLAVITがそっと枕元に返す。雑誌は女の子が帰宅途中に読んでいるとき、近くのゴミ箱に同じ雑誌が投げ捨てられた。それを暗い瞳をしたMIREIが拾い上げる。すくなくとも手紙を持ち去ったMIREIに女の子は気づいていたし、映像のラスト近くで雑誌を捨てたのは女の子自身であることが分かる。
恋の応援をしていたLAVITは傷ついた女の子を慰めはしなかった。ラストのダンスはLAVITの衣装は黒だったし、表情から笑顔がなくなっていた。LAVIT自身が女の子、もしくは女の子の生きる道に失望したようだった。主役の女の子はワンピースの女の子に触れた。それは恋愛感情の表れだ。触れた先にさらに深い接触を期待していただろう。それを拒まれた。その後彼女は金銭で彼女自体は求めていない接触を提示される。彼女の中できれいに見えたものが一気に汚くなった瞬間だ。LAVITはその影響を強く受けていた。単純に考えれば、MIREIもLAVITも主役の女の子自身だったのだろう。LAVITは少女の頃、MIREIはすべてを知った後の彼女だったのではないだろうか。だとしたら、主役の女の子はキラキラした少女の頃を人生の頂点にしたまま前に進めていない。