(劇評・11/11更新)「ごっこ遊びが終われない」大場さやか | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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この文章は、2020年10月31日(土)19:00開演のProject = A Night of Parricides『親殺したちの夜』についての劇評です。

 Project = A Night of Parricides『親殺したちの夜』(作:ホセ・トリアーナ、構成/演出:本庄亮)の舞台は大きな透明のテントだった。五角形に細い柱が立ち、真ん中には高めの柱がある。屋根のビニールはところどころ破れている。テントの回りも大きなビニールで巻かれている。テントの中央には小さなテーブル、その回りには椅子がある。その他、テント内には細い布きれや服、帽子、花瓶など、小物が置かれている。テントから離れた上手隅には、ギターとドラム奏者がいる。劇中の効果音や音楽などを彼らが演奏することで、芝居の即興性が強調されていた。

 下手から、パッチワークを施した白い服を着た女性が二人登場する。顔は白塗りに赤い模様。長女のクカ(下條世津子)と、次女のベバ(古林絵美)だ。二人はテントに巻かれたビニールの下から、テント内に入る。二人が服を手にしたり、帽子を被ってみたりしていると、同じような白い服に白い顔の長男ラロ(田中祐吉)がやってくる。彼は人を殺した、と言い始める。ベバは、演技が始まった、と言う。公演チラシには「両親を殺害するという「ゲーム」を演じる三人の兄妹」と紹介文があった。

 彼らの発する言葉は、何がゲーム上の作り事で、何が劇中での現実なのか判別できない。彼らの言動は、決められたシナリオ通りに台詞を発するものではなく、自分に与えられた役になりきってその役が言いそうなことを言う、即興劇のように感じられる。彼らが繰り広げるゲームはまるで、「ごっこ遊び」だ。役になりきった誰かが発した、その役らしい言葉。それを拾って、別の誰かがまた、それらしい言葉を発する。その繰り返しで物語のようなものができていく。ラロが両親を殺したと言う。隣人が訪れ、両親について詮索する。警察官が彼らの家を調べにやってくる。ラロは裁判にかけられる。ラロが両親への愛を語ることで、ゲームは終わる。物語の大まかな流れとしてはこのようになっている。彼らは複数の役を演じる。両親、隣人、警察官、裁判官、検察官。わかりやすい演じ分けはない。彼らは必要な時に急にその役になる。

 隣人が現れた後しばらくすると、ベバが「前半が終了したのよ」と言い、舞台は暗転する。明るくなった舞台では、ラロが逆さにした松葉杖にハンドマイクを付けた物を、スタンドマイクのように持って歌っている。「Who are you?」とラロは何度も叫ぶ。それはラロの、自らに対する心の叫びなのであろうが、同時に観客の心の叫びでもある。一体、あなたは誰で、何をしているというのか。そして彼らの行動に何の意味があるというのか。彼らの言動を信じるならば、兄妹は随分と両親に抑圧されている。その影響を最も直接的に受けているのがラロなのであろう。だが両親にも事情があった。母は子供が生まれたため結婚せざるを得なくなったと言い、父は生活のため結婚を選んだと言う。二人に愛情があったわけではないのかもしれない。その二人の下で、兄妹達も愛情を受け取ることが難しかったのかもしれない。このゲームは愛情に飢えた子供達の怒りの表れか。

 裁判が始まる前に、家を巻いていたビニールの前面が妹の手で切り裂かれて落ちる。同様に左、後ろ、右のビニールも切り落とされる。丸見えになり、世間に開かれた家で、裁判が始まる。裁かれるのはラロだが、兄妹達は、自分達がこんな風に育ってしまったのは両親のせいですよと、裁判の場で明らかにしたいのではないか。その後、柱とビニールの屋根だけになったテントは、ベバによって倒されてしまう。代償行為として、ゲームの中で家を壊す。それは家など彼らには必要ではないという意志表示か。しかしラロは「何はともあれ俺は両親を愛しているんだ」と言う。家を散らかし、壊すほどの衝動を持って暴れ回っておきながら、愛という曖昧な言葉で事態を収束する。そして「今度は私の番よね」とベバが言う。妹達は、またゲームを始めようとする。

 壊したいくらいの家ならば、出ていけばいい。家を出ようと試みた旨も語られてはいるのだが、彼らは家を出ることができていない。愛情から離れられないのか、事情から離れらないのか、どちらにしろ、兄妹は家族に縛られている。そこに歪んだ愛情が見える。兄妹達は自立を避け、愛という名の庇護の下に「ごっこ遊び」を続ける。彼らがゲームに飽きる日は来るのだろうか。外部から強制的にスイッチを切られるような干渉でもない限り、ごっこ遊びが続いていくのだろうか。大人にならない子供達による悪夢のような、混沌があった。


(以下は更新前の文章です)


 A Night of Parricides『親殺したちの夜』(作:ホセ・トリアーナ、構成/演出:本庄亮)の舞台は大きな透明のテントだった。四隅に細い柱が立ち、真ん中には高めの柱がある。屋根のビニールはところどころ破れている。テントの回りも大きなビニールで巻かれている。テントの中央には小さなテーブル、その回りには椅子がある。その他、テント内には細い布きれや服、帽子、花瓶など、小物が置かれている。テントから離れた上手隅には、ギターとドラム奏者がいる。劇中の効果音や音楽などは、彼らが演奏する。

 下手から、パッチワークを施した白い服を着た女性が二人登場する。長女のクカ(下條世津子)と、次女のベバ(古林絵美)だ。二人はテントに巻かれたビニールの下から、テント内に入る。二人が服を手にしたり、帽子を被ってみたりしていると、同じような白い服の長男ラロ(田中祐吉)がやってくる。彼は人を殺した、と言い始める。ベバは、演技が始まった、と言う。公演チラシには「両親を殺害するという「ゲーム」を演じる三人の兄妹」と紹介文があった。ラロの登場により、ゲームが始まったのだろう。続く彼の言葉から、殺されたのは彼らの両親という設定であることがわかる。

 ラロだけでなく、クカとベバもゲームに参加している。彼らの発する言葉は、何がゲーム上の作り事で、何が本当の事か判別できない。彼らの言動は、決められたシナリオ通りに台詞を発するものではなく、自分に与えられた役になりきってその役が言いそうなことを言う、即興劇のように感じる。彼らが繰り広げるゲームはまるで、「ごっこ遊び」だ。役になりきった誰かが発した、その役らしい言葉。それを拾って、別の誰かがまた、それらしい言葉を発する。その繰り返しで物語のようなものができていく。ゲームなのか、本当のことなのか、それをわかりにくくしているのは、彼らが複数の約を演じることにも理由がある。両親、隣人、警察官、裁判官、検察官、これらを彼らが演じていく。わかりやすい演じ分けはない。彼らは必要な時に急にその役になる。

 ラロが両親を殺したと言う。隣人が訪れ、両親について詮索する。警察官が彼らの家を調べにやってくる。ラロは裁判にかけられる。ラロが両親への愛を語ることで、ゲームは終わる。物語の大まかな流れとしてはこのようになっている。隣人が現れた後しばらくすると、ベバが「前半が終了したのよ」と言い、舞台は暗転する。明るくなった舞台では、ラロが逆さにした松葉杖にハンドマイクを付けた物を、スタンドマイクのように持って歌っている。「Who are you?」とラロは何度も叫ぶ。それは観客の心の叫びだ。一体、あなたは誰で、何をしているというのか。そして彼らの行動に何の意味があるというのか。彼らの言動を信じるならば、兄妹は随分と両親に抑圧されている。その煽りを最も受けているのがラロなのであろう。だが両親にも事情があった。母は子供が生まれたため結婚せざるを得なくなったと言い、父は生活のため結婚を選んだと言う。二人に愛情があったわけではないのかもしれない。その二人の下で、兄妹達も愛情を受け取ることが難しかったのかもしれない。このゲームは愛情に飢えた子供達の怒りの現れか。

 裁判が始まる前に、家を巻いていたビニールが妹の手で切り裂かれて落ちる。丸見えになった家の中で、裁判が始まる。裁かれるのはラロだが、本当に裁かれるべきは、裁判の場で事情を語る両親であると、兄妹達は考えていやしないか。自分達がこんな風に育ってしまったのは、彼らのせいですよと明らかにしたいのではないか。柱とビニールの屋根だけになったテントは、ベバによって倒されてしまう。家を壊す。それが彼らのやりたいことだったのか。家など彼らには必要ではないという意志表示。しかしラロは「何はともあれ俺は両親を愛しているんだ」と言う。家を散らかし、壊すほどの衝動を持って暴れ回っておきながら、愛という曖昧な言葉で事態を収束する。そして「今度は私の番よね」とベバが言う。妹達は、またゲームを始めようとする。

 壊したいくらいの家ならば、出ていけばいい。家を出ようと試みた旨も語られてはいるのだが、彼らは家を出ることができていない。愛情から離れられないのか、事情から離れらないのか、どちらにしろ、兄妹は家族に縛られている。そこに歪んだ愛情が見える。兄妹達は自立を避け、愛という名の庇護の下に「ごっこ遊び」を続ける。彼らがゲームに飽きる日は来るのだろうか。外部から強制的にスイッチを切られるような干渉でもない限り、ごっこ遊びが続いていくのだろうか。大人にならない子供達の悪夢のような、混沌があった。