この文章は、2018年12月1日(土)19:00開演の劇団暗黒郷の夢『Whiteout』についての劇評です。
暗黒郷とはディストピアの日本語訳である。金沢市の若手劇団、劇団暗黒郷の夢による『Whiteout』(作•演出:木林純太郎)を見たが、パンフレットにこの作品がディストピア作品であると明記してあった。劇団名にも作品解説にも明記するくらい、よっぽどディストピアが好きな劇団なのだろう。『Whiteout』で描かれていたディストピアは、島を丸ごと私有地にし、そこを拠点として活動する宗教団体の施設を舞台にしたものだった。セットがほとんどない簡素な舞台だったが、幸福と平和を追求しながらもどこか気味の悪いコミュニティの世界観がうまく作り出されていた。
冒頭、宗教団体内部のシーン。団体のシンボルマークが背後に映し出され宗教音楽のようなものが流れる中、白い服を着た男、ドクター(朱門)と女、シスター(古林絵美)が何かの計画の話をしている。場面がある家庭内に変わり、主人公、警視庁勤務の広野あつし(高田滉己)が妹の女子高生、広野さきか(北国歩実)にお年玉をねだられる。母子家庭で育った仲の良い兄妹の日常。ところが突然、母親が交通事故で帰らぬ人となり、それをきっかけに、兄妹の仲には徐々に溝が出来る。仕事をしながら事故の事後処理に多忙なあつし。母がいなくなったショックで精神不安定になるさきか。やがてさきかは行方不明となる。ある日あつしは上司(田中祐吉)から、さきかが宗教団体ウルスに入信した可能性があること、そして団体が拠点とする島へ行き潜入捜査すれば、さきかに会えることを伝えられる。冒頭でディストピアの世界をちらつかせ、束の間の幸せな家庭の光景は、それとは対照的なディストピアの雰囲気をより際立たせることとなった。
場面は、ウルスの施設内へ。信者たちは賛美歌のような歌を心を込めて歌い、教団代表者マザー(奈良井伸子)がその教えを語りかける映像を見る。信者たち全員が上下白い衣装、フードを目深に被っており、彼らが拍手をする際は片方の手の上下を逆さまにするという所作も統一されていた。行動を共にし、服装、思想などが統一された中で生きながら、その教えにより幸福を感じる信者たち。さきかを連れて帰ろうとウルスに潜入したあつしは、さきかに目を覚ますよう説得するもさきかには響かず、逆に信者たちに拘束されてしまう。拘束されたあつしは教団が「浄化」と呼ぶ、頭部に取り付けたヘッドギアを経由して脳に電気信号を送られる行為を受ける。浄化がなされた者は脳が信号の影響を受け、マザーの教えを信じ、辛さや苦しみを感じず、幸福感で満たされるようになる。この浄化行為を多くの人に施し、それにより醜い争いのない世界にすることがウルスのねらいなのだ。オリジナルの歌や映像、一般的な普段着とは雰囲気の異なるデザインの衣装など、その世界観を出すための工夫やこだわりが随所に見られた。
あつしに浄化行為がなされるが、その意思の強さから電気信号の影響が出ない。そこへ教団の実質的ボス、ドクターが現れ、あつしの潜入が全て計画通りであったことを伝える。冒頭でドクターが話していた計画は、あつしのような意志の強い人間に浄化行為を試すことだったのだ。あつしは拘束された状態でありながらも、辛さや苦しみを感じることこそが人間の尊さであり、人為的に脳からそれらを排除してしまうウルスの思想に必死に反論する。それを嘲笑するドクター。あつしは再び電気信号を流され、衰弱状態に。それに追い打ちをかけるかのように、さきかがあつしの目の前で兄との思い出のミサンガを切る。ラスト、一人の信者があつしに近づきフードを取る。その正体があつしの上司だと判明するところで舞台は終演する。
苦しみという一種の人間らしさを排除しようとするウルス、人間らしさを奪うことで幸せを感じることを否定するあつし。あつしの考えは一見まっとうなようだが、最終的に彼はウルスから抜け出せないであろう状態の中、自分の味方だと思っていた上司にもハメられていたと思わせる終わり方だった。あつしがウルスに巻き込まれてゆく構図。ウルスの世界がディストピアとして描かれながらも、あつしのような根性論的な考え方への皮肉のようにも感じた。