この文章は、2018年11月3日(土)19:00開演のD.D.D.@lavit.dance『虹ノカケラ』についての劇評です。
歌とダンスによって展開された、D.D.D.@lavit.dance『虹ノカケラ』。この作品は、演出であるLAVITの心の中を、総勢15人で表現したものだと感じた。それは、歌われる歌詞(音楽:LAVIT with kanebon)に、彼の心の内が映し出されていると思えたからだ。そして演者達が、その世界観を大切に扱っているように感じたからである。
舞台は、3段になっている。開演前はその上から1段目と2段目に、イチゴの模様が映し出されていた。この舞台装置はイチゴのケーキを模しているのだろうか。開演して暗転すると、イチゴが消えた白い舞台の2段目にうずくまる、白い衣装の演者(LAVIT)がいる。周囲から、おーい、おーい、と、呼び声がする。白い服を着た4人が、上手と下手から2人ずつ登場する。その後、上手、下手の客席脇から、5人ずつの演者が列をなして舞台へやってくる。彼らはTシャツにパンツ姿の者や、ワンピース姿の者などで、ピンク色と薄い緑色が基調となっているようである。
指を鳴らし、手を叩き、足を踏み、演者達はリズムを取る。ラララ、と歌われる素朴で歌いやすい曲調に、真っ直ぐな歌詞。その歌に合わせて、演者達の腕がゆっくりと伸ばされる。
次の曲は変わってエレクトリカルなテンポの速いもの。舞台手前に出たLAVITと美緑トモハルがキレのあるダンスを見せる。しかしこの場面以外のダンスは、速くはなく、主に上半身の動きで表されるものだった。
LAVITが今回、観客に見せたかったダンスは、特別な才能を持つ者にしか踊れない超絶技巧の表現ではなく、誰もが楽しんで踊れる、体を動かすことのシンプルな面白さを伝えるものだろう。私にも踊れそうだと思わせてくれる。そうだよと言わんばかりに、最後には、観客達に舞台への参加が呼びかけられた。LAVITより簡単な手振りを伝えられ、舞台と観客席で歌に合わせ踊って、終演となった。
夢や希望をストレートに歌い上げていく舞台から、素直さが伝わってきた。誰も、何も、否定しない。全てを包み込もうとするようなポジティブな力に満ちていた。この舞台で表現されたものは、幼い子どもの純粋な心のようで、刺激にまみれた大人達には物足りないかもしれない。しかしLAVITは、素直な心を思い出して、と伝えているのではないか。その優しい空気感を作り出せる彼の人柄が、多くの俳優をダンスへと誘ったのではないか。
気になったのは、この世界に誘われたLAVIT以外のメンバーの存在が、個性として伝わってこなかったことである。主役はLAVITだとして、脇役にも見せ場があってよいだろう。このユニットがこれからも続いていくのかはわからない。もしも次があるのならば、メンバー個々の表情が垣間見えるような演出を期待したい。
(以下は更新前の文章です)
自分の行動に、思いに、BGMが付いて、周囲の人々が自分を主役に盛り立ててくれたならば、こんなふうだろうと感じた。歌とダンスによって展開された、D.D.D.@lavit.dance『虹ノカケラ』は、演出であるLAVITの心の中を、総勢15人で表現した作品だった。
舞台は、3段になっている。開演前はその上から1段目と2段目に、イチゴの模様が映し出されていた。この舞台装置はイチゴのケーキを模しているのだろうか。開演して暗転すると、イチゴが消えた白い舞台の2段目にうずくまる、白い衣装の演者がいる。周囲から、おーい、おーい、と、呼び声がする。白い服を着た4人が、上手と下手から2人ずつ登場する。その後、上手、下手の客席脇から、5人ずつの演者が列をなして舞台へやってくる。彼らはTシャツにパンツ姿の者や、ワンピース姿の者など、色も形もばらばらの衣装である。
指を鳴らし、手を叩き、足を踏み、演者達はリズムを取る。素朴で歌いやすい曲調に、真っ直ぐな歌詞。その歌に合わせて、演者達の腕がゆっくりと伸ばされる。演者達の踊りは、達者とは言えない。
LAVITが今回、観客に見せたかったダンスは、特別な才能を持つ者にしか踊れない超絶技巧の表現ではなく、誰もが楽しんで踊ることのできる、体を動かすことのシンプルな面白さを伝えるものだろう。私にも踊れそうだと思わせてくれる。そうだよと言わんばかりに、最後には、観客達に舞台への参加が要請された。LAVITより簡単な手振りを伝えられ、舞台と観客席で歌に合わせ踊って終演となった。
観客参加の曲を含めて10曲だったが、上演時間45分の長い1曲を聞いたような印象だった。ストーリーなどはない舞台だったが、次に何が訪れるのかと期待して見続けることができ、飽きることはなかった。
夢や希望をストレートに歌い上げていく舞台には、その主張の素直さがあふれていた。誰も、何も、否定しない。全てを肯定しようとするような、ポジティブな雰囲気に満ちていた。この舞台で表現されたものは、幼い少年の純粋な心のようで、刺激にまみれた大人達には柔らかすぎる気もした。しかしLAVITは、そんな柔軟な心を思い出して、と伝えているのではないだろうか。その優しい空気感を作り出せる彼の人柄が、多くの俳優をダンスへと誘ったのではないだろうか。
この舞台が、LAVITのダンスショーであったならば、納得がいくのだ。彼が作り、中心となり、全てを引き受ける舞台だ。しかし、この舞台はD.D.D.というユニットのものになっている。LAVIT以外のメンバーの存在が、いくらか浮き出ていてもよかったのではないだろうか。主役はLAVIT、それでいい。だが、脇役にも見せ場があってもよいだろう。このユニットがこれからも続いていくのかはわからない。もしも次があるのならば、メンバー個々の表情が垣間見えるような演出を期待したい。