(演劇祭・全体評)「フェスの強度」山下大輔 | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
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この文章は、2016年10月~12月にかけて開催された「金沢市民芸術村20周年記念演劇祭 かなざわリージョナルシアター『劇処』」全体についての講評です。

 16年10月1日から12月11日までのおよそ2カ月間、金沢市民芸術村の開村20周年を記念した演劇祭が、同所で開催された。金沢市を中心に活動する劇団・カンパニーらが参加。児童劇、高校演劇、オリジナルの現代劇、アクション、社会劇、時代劇、舞踏などが、11週連続で上演された。フェスティバル全体について講評する。

 演劇祭は、毎公演、多くの観客で客席が埋まっていたことを考えると、イベントとしてある意味成功したと言えるだろう。けれども、一つのパッケージとしてこのフェスを俯瞰すると、背骨が折れ曲がったような、どこか芯のなさを感じてしまう。フェス自体に強さや厚みがなく、インパクトは弱かった。身内だけで小じんまりとまとまっていた印象を受けた。
 それは、客層が各劇団・カンパニーのこれまでの固定客で多くを占めていたこともあって、作り手が内向きな作品づくりに固執していた印象を受けたせいもある。このことは特に、第3週目に上演された野々市市民劇団「劇団nono」の『七人の』で顕著に感じられた。
 さらに、第2週目に行われた演劇ユニットK-CATの『血の婚礼』。西川信廣(文学座)が演出を手掛けていたが、読み稽古をそのまま舞台にしたような出来だった。金沢の俳優たちと真摯に向き合い、創作した作品とは言い難く、それは結果として、金沢の観客はこのぐらいのレベルで満足するだろうと、軽く見積もられたような気がした。
 県外の演出家を招聘した作品ではもう一つ、大トリを務めたシアターゴールドマインの『Erratic Hello(エラティック・ハロー)~空から降ってきた大きな大きな羽根のある迷子のおかしなあいさつ~』もあった。快楽のまばたき(東京)の高田百合絵が演出した今作では、地元金沢の俳優たちによるワークショップの延長という感じがした。首都圏の演出家が、金沢という地方都市でどんな演劇を見せてくれるのだろうと、私のように期待していた人も少なからずいただろう。上演場所がどこであれ、勝負する姿勢が感じられなかったことは残念だった。
 フェスにとっては、上演順番も非常に重要なウエイトを占める。オープニングアクトを担当する団体には、フェスのその後の流れを作る大事な役割があるし、観客はその作品の完成度からフェス全般のクオリティーを推し測る。責任は重大だ。今回の上演タイムテーブルを見た時、児童らによる「キッズ☆クルー&人形劇団なみ」の『雪わたり』がトップバッターにラインナップされていたことには、違和感を感じずにはいられなかった。フェスの盛り上げ方、終盤に向けての展開の仕方など、緻密に練られて順番が決められたとは思えなかった。こうした中、子供たちは一生懸命に演じていた姿を目にできたことは救いであったし、彼らの頑張りは素直に評価したい。
 
 演劇祭を通して、楽しげなお祭りムードは十分に伝わってきたけれど、それは終始内向きな印象で、外部の不特定多数の観客を意識した外向きなものではなかった。
 クオリティーの高いフェスにするために、作品の作り手たちは地元金沢のファン層だけに評価されて満足するのではなく、金沢以外の地域の人たちのシビアな目に晒されているという一種の覚悟を持つことが、重要だと痛感した。
 金沢という一地方で、演劇レベルを向上させ、活性化させるために。作り手を含めた関係者の意識の変革のスタート地点として、今回のフェスを位置付けたい。