この文章は、2016年11月5日(土)19:00開演の演芸列車東西本線『CSG48~48番目の赤穂浪士~』についての劇評です。
48番目の赤穂浪士と聞いて真っ先に思いついたのは、主君や義士たちとともに港区泉岳寺に墓がある萱野三平重実だ。忠君である浅野長矩や友への義と、吉良の縁者であり家代々の主人大島家への仕官を薦める父の間で板挟みとなり自刃した男。NHKの大河ドラマ『元禄繚乱』や『仮名手本忠臣蔵』などにも描かれており無名ではない。
演芸列車東西本線による『CSG48~48番目の赤穂浪士~』(作・演出:東西本線)は、金沢市民芸術村20周年記念演劇祭かなざわリージョナルシアター「劇処」の第6弾(11月4日~6日)だ。
元禄14年3月、江戸城松之廊下で浅野が吉良上野介に対して刃傷に及び、異例の即日切腹と赤穂浅野家の断絶が決まる。浪人となった旧藩士たちは江戸や上方の各地へ散る中、大石は吉良の処断と赤穂浅野家再興を求める義盟を120を超す者たちと結ぶ。
吉良が家督を譲ったことで喧嘩両成敗の望みも絶たれ、赤穂浅野家再興も命により絶望的となった元禄15年7月、大石は仇討ちを決定。覚悟を確かめるべく義盟への連判状から血判を切り取りそれぞれに返した。
この血判が返されたところから物語は始まる。
血判を返されたことに憤る強硬派の堀部安兵衛はともに大石に討入を嘆願すべく萱野三郎宅を訪れる。安兵衛に招かれた間十次郎、養子である彼を連れ戻すべく訪れる堀部弥兵衛、彼ら4人によって物語は進む。この場にいる全員一致ならば賛同すると弥兵衛は決を取ることを提案する。討入ならば碁石の白石を袋に入れると決め、順に票を入れていく。一度目は黒石が一つ。弥兵衛の進言により再投票となるが、また黒石が一つ混じる。一度目を投じたのは皆の気持ちの揺れを考慮した弥兵衛の企み、しかし二度目は? 安兵衛は討入に対して慎重な発言をしていた十次郎を疑う。しかし……
最後、意を決した三人を見送る三平は十次郎が口にした「グッドラック」の言葉を彼らの背中に送り部屋を後にする。
史実では神文返しが行われたる前に萱野三平は他界しているため、この物語は完全なフィクションではあるが、「グッドラック」と語る雰囲気や照明からは死を感じさせ恐らくは自死を覚悟したことを描いたと思われる。しかし、能楽的な足運びでゆっくりと歩く姿からは自刃を覚悟したようには見えて来なかった。
作品の完成度は悪くない。しかし、敢えて重い話としなかったからだろうか、特段取り立てて語れることも少なく、可も無く不可も無いというのが率直な気持ちだ。
そして、なぜいま自刃した萱野三平なのか、なぜこの作品をいま舞台に乗せたのか。創り手の意図が何かしらあると思われるが、それらは明確に見えてこなかった。「忠義」を「義」を「士官話」をなんと置き換えることができるのか、今も何かしらの暗喩があったのではないかと頭を巡らせる。
この演芸列車は特急だったのだろうか。車窓の風景が一瞬に移り変わるように、心に何かを残す事無く過ぎていった感が残る。