(劇評)「リアリティーって何だっけ…」山下大輔 | かなざわリージョナルシアター「劇評」ブログ

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本ブログは金沢市民芸術村ドラマ工房が2015年度より開催している「かなざわリージョナルシアター」の劇評を掲載しています。
劇評を書くメンバーは関連事業である劇評講座の受講生で、本名または固定ハンドルで投稿します。

「この文章は、2016年10月22日(土)18:00時開演の劇団ドリームチョップ『笑ってよゲロ子ちゃん』についての劇評です」

 金沢市民芸術村20周年記念演劇祭かなざわリージョナルシアター「劇処」の参加作品、劇団ドリームチョップ第16回公演「笑ってよゲロ子ちゃん」(作:兵藤友彦、潤色・演出:井口時次郎)が22、23日、同村ピット2ドラマ工房で上演された。
 ドリームチョップは2000年に旗揚げした劇団。これまで井口氏のオリジナル脚本を中心に、人間模様を描いた作品を上演している。今作は、愛知県立刈谷東高校の教諭兵藤氏が高校演劇用に書いた戯曲がベースとなっている。

 舞台は石川県のローカルコミュニティーラジオ局。リスナーが皆無の番組「ウーマンズナウ」は放送事故が決め手となり、プロデューサー新井康平(長山裕紀)から番組打ち切りと、編成スタッフの解雇が告げられる。この決定を覆そうと自己保身に走るディレクター加藤千佳(岡本亜沙)は、都市伝説に出てくる「口裂け女」のような存在として「ゲロ子ちゃん」を作り出し、街中に出没させることを考案。加藤は、後輩のAD村山たま子(古林珠実)にカエルの顔の被り物と水掻きのついた手袋、セーラー服を着て、ゲロ子になることを強引に納得させる。
 番組の新企画となった「ゲロ子ちゃん」コーナーは、リスナーから好評を得る。時が経つにつれ、ラジオ局にはゲロ子の目撃情報が書かれたはがきが続々届く。リスナーが増えて、喜ぶ加藤や新井たち。しかし、はがきの中身は「ゲロ子が水掻きに潜ませたカミソリで牛を殺した」「ゲロ子は奇形」「ゲロ子は昔犯された」といった内容にエスカレートしていく。嘘が嘘を呼び、得体の知れない恐怖が助長される。アナウンサー竹内あかり(根﨑麻依)はこうした状況に耐えきれず、番組を降板。その後、たま子と同期の中村銀二(宮下将稔)がパーソナリティーを務める。
 加藤らは次第に、自らが作り上げたゲロ子に殺されるかもしれないという恐れを抱き始める。半年後、ゲロ子として街中を彷徨い続けていたたま子は、ついにラジオ局に戻ってくる。怯える加藤や新井たち。たま子は袋から花束を取り出して、銀二に渡そうとする。刹那、銀二は反射的にたま子目掛けて椅子を振り上げる。銀二のアナウンサー就任を祝う横断幕を出すたま子。呆然とする銀二を最後に終演する。

 冒頭から最後まで、ゲロ子役を演じたに過ぎなかったたま子。半年もの間、被り物を脱ぐことを禁止され、それを頑なに守ろうとする姿は、健気なのか愚鈍なのか。むしろ後者に思えてならない。パワハラやモラハラ、過度の残業などが原因でうつ病や自殺が問題となっている現代社会を鑑みると、このような人物設定を是なるものとして捉えることが容易にできない。財布も持たず、半年間も被り物をしたまま、生きていたことがまさに奇跡。常人ならとっくに自己が崩壊し、それこそ別の何者かに変身してしまいそうだ。純粋無垢な女の子は何をされても平気なのか。アニメの世界観を強引に現代に持ち込んだ感は否めない。歪められたリアリティーが際立ってしまっていた。
 さらに、リアリティーという点では、理性を失った加藤らがただの作り物だったゲロ子をモンスターとして認識するようになる変化が、見えてこない。慌てふためく身振り手振りや、焦るように喋る言葉ばかりが強調される。だが、恐れ戦く目をしていない。身体が強張っていない。言葉にしないこうした在り様が舞台空間に緊迫感や緊張感を生み出すのに、と考えてしまう。
 別段、リアリティーにばかり固執しているわけではないのだが、人間の内部の微細な変化を観察したかったという欲求が滲み出てしまう。いっそのこと、と思う。たま子が心身ともに、カエルのゲロ子に少しずつ変身する様が描かれていたとしたら。フランツ・カフカの小説「変身」のような展開を勝手に妄想してみたり。そんな自分を現実に引き戻して、筆を置いた。