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きょうは、
宮城県北部にある大崎市古川で行われた、権現山遺跡の発掘調査現地説明会にいってきました。


権現山遺跡は、奈良・平安時代にお城兼お役所的な機能を持っていた古代城柵の宮沢遺跡(国指定史跡)の南東にある遺跡です。

以前の調査で飛鳥時代~奈良時代の材木塀跡や規則的に配置された掘立柱建物跡がみつかっています。

また、西隣にある三輪田遺跡では、「大住団」と記された木簡が出土しており、これは相模国(いまの神奈川県)の軍団に関係するものと考えられています。

今回の発掘調査では、以前みつかった材木塀の続きが確認されたほか、材木塀のそばから人名と日付が記された木簡が出土しました。


写真は、見学会での材木塀跡の説明の様子。
多くの見学者の方がいらっしゃっていました。
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調査区1区西側の材木塀跡のアップ。

この1区西側は、ちょうどかつての沢跡にあたっており、材木塀跡は湿地層に柱を直接打ち込んで構築されています。

材木塀跡の外側(写真では左側)には、長い木材が置かれています。
材木塀に使用する木材を打ち込む際の目印、あるいは根元を補強するためのものではないかと推測されています。
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材木塀跡の外側(北側)では、網代がみつかっています。

2.5×0.9mの範囲に広がっており、数センチほどの土をはさんで2面が確認されました。

葦もしくは竹を編んだもので、大型のかごやざる、または敷物の可能性があるとみられています
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こちらは、1区東側で確認された材木塀跡。

材木塀跡の断面を見る事ができます。

木材を並べて建てられていますが、木材どうしの間にはかなり隙間があります。
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こちらは、その東の2区の様子。

丘陵状になっている権現山の方向へ、材木塀跡が続いています。

以前の調査では、この丘陵の東端でも材木塀がみつかっており、今回確認された部分と一連のものと考えれば、外郭施設の東辺の一部から北辺、確認された部分だけで総延長1.2kmとなります。
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こちらは出土遺物見学のコーナー。

木製品、土師器、須恵器、瓦などがあります。

関東系土師器が出土しているのも注目される所ですが、今回の調査で特筆されるのが、材木塀跡のそばで出土した木簡です。
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こちらが木簡。

表に
「従六年 十二月十一日」
その左の行にも何か書かれていますが不明。

裏は、
上半部に
「矢田マ黒□」
 □知マ忍山
下半部に
 □□□×
 若田マ□

と記されていました。
(□は不明部分)

ここにあった、何からの官的な施設に勤務していた人の名前と、勤務開始日を記録したものではないかと考えられています。
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出土した土器の年代は、7世紀後半頃~8世紀前半頃とされ、材木塀跡の年代もその頃と考えられています。
近接する宮沢遺跡よりも先行する施設とみられます。

この時期は、飛鳥時代から奈良時代の前半頃。

当時の宮城県北部地方は、ヤマトを中心とする畿内政権の勢力圏の北のはて。
その頃から、東北地方には各地に城柵とよばれる支配拠点が置かれはじめ、軍事と行政の両面をになっていました。

また、そのころ、宮城県地方には周囲を材木塀や溝で囲む、「囲郭集落」と呼ばれるムラが各地に営まれます。
その遺跡からは関東系土師器が出土することなどから、関東からの移民を主体とした集落だったのではないかと考えられています。

権現山遺跡は、初期の城柵にあたるのか、それとも囲郭集落なのか。
まだ調査された範囲が限られているため現状では不明ですが、今後の調査と研究の進展に期待したいです。


【参考文献】
大崎市教育委員会 2012 「権現山遺跡発掘調査現地説明会資料」