皆さま、こんばんは🌟
少しずつ暖かくなり始め、春の訪れを感じますね😊
今年は花見🌸出来るといいなぁ…
さて、今回はずっと気になっていた「利根運河」に行ってきました☝️
利根運河は東武野田線(アーバンパークライン)運河駅の由来となっています😊
「なんで海から遠く離れたこの地に運河駅があるの?」
僕も長らくそう思っていました笑
よく調べてみると「利根運河」の存在に辿り着きます☝️
そしてこの運河は近代の水運において重要な存在であったことが分かります。
そんな重要な存在の「利根運河」に訪れてきました✨
と言っても、利根運河を知っている人も少ないと思うのでこちらの記事ではまずは解説✏️
〇利根運河とは?
利根運河は千葉県柏市、流山市、野田市を流れる全長8.5kmの人工河川です。
チーバくんで例えると黒い鼻と赤い本体(?)の境目が利根運河です笑
[千葉県公式サイトより引用]
〇利根運河の歴史
利根運河は1890年に開通しました。
明治時代に8.5kmに渡る人工河川を建設したのには理由があります。
明治初期、東北方面からの物資を東京に運ぶには
①房総半島をぐるっと回って東京湾へ向かう
②銚子より利根川へ入り、関宿から江戸川に入って東京を目指す
この2通りがありました☝️
しかし、①は時間がかかる、②は利根川の関宿付近に浅瀬があり船の乗り入れが困難
と言ったデメリットが存在しました。②を解決する為に、利根川の三堀から陸路で江戸川の野田まで向かうルートもありましたがやはり手間です💦
ましてやこの区間は湿地帯だったようですから尚更です😅
(利根川側は銚子汽船、江戸川側は内国通運の通運丸が担当)
①②の解決策として考えられたのが江戸川と利根川を繋ぐ人工河川の計画です☝️
政府や東京府、千葉県、茨城県が一体となって江戸川・深井と利根川・船戸を結ぶ運河が計画されました。
運河の建設に当たってオランダ人技術者のローウェンホルスト・ムルデルが指揮を振りました☝️
こうして1890年に利根運河は開通となります。
利根運河が開通すると東京〜銚子間が18時間となり、関宿経由の頃と比べて6時間短縮されました⏰
そんな利根運河は利根運河株式会社により管理されていました。
深井に本社が置かれていたようですね😯
利根運河が開通すると多くの高瀬舟(帆船)や蒸気船(通運丸など)が往来することとなり、その通航料で利根運河株式会社は潤います💰
ちなみに…
こちらが高瀬舟⛵️
江戸時代までの水運と言えば高瀬舟だったようです😯
[Wikipedia"高瀬舟"の項より引用。パブリックドメイン]
こちらは蒸気船🚢
内国通運(現・日本通運)が運航していた通運丸です。
石炭を燃やし、蒸気を上げて航行する姿は当時の人々を驚かせたでしょう✨
[図説 川の上の近代 -通運丸と関東の川蒸気船交通史-より引用]
通運丸については以前取り上げました。
気になる方はこちらからどうぞ。
しかし、常磐線や総武本線が開業すると貨客輸送は鉄道が優勢となります。
たった数時間で結ばれるようになったのはやはり大きい✨
そして追い討ちをかけるように、水害対策の一貫として利根運河の川幅を広げて水深を浅くする工事が行われました。
この結果、汽船🚢の乗り入れが不可能となってしまいました。
(利根運河に汽船が乗り入れていた頃)
[Wikipedia "利根運河"の項より引用。パブリックドメイン]
1935年には台風により付近は氾濫、浸水となりました☂
その後、堤防が強化されるも1941年に再び台風🌀による水害に見舞われました。
これにより利根運河は通航不能となり、利根運河株式会社は破綻となり、国有化されます。
戦後は導水路としての役目を果たすこととなり、2000年代に入ると付近は親水公園として整備されて現在に至ります😋
長々と語ってしまいましたが、これが利根運河の概要です🙃
そんな利根運河に行ってきました☝️
訪問記は次の記事へ続きます……
次記事はこちら↓↓↓