今日は長文ですが、
とてもとても貴重な体験となった私のお話を書かせていただきます


心の学びをしたとき、スピリチュアルなことも学びました。
気づいたら講座に組み込まれていたのですが

でもそれが、私にとっては
大正解 だったんです

講座を受けている間、というか、ほぼ終盤、私はフラフラでした。
とにかく左右に大きく揺らされている感覚があって、フラフラだったんです。
その講座は、いろんな意味で濃厚と言える講座だったので、
これまでの価値観をブッ壊しているが故の感覚なのかな?と、
あまり深く考えず、気にしないようにしていました。
そんな中、講座のラストで、そのフラフラの正体が分かったんです。
それは、
講師のブレ でした。
そこに気づいたとき、数か月間も気づけなかった自分の愚かさにビックリしました(@_@)
心の学びが中心だった前半は、特にそのような感覚はなかったのですが、
終盤に差し掛かったあたりの、まさにスピリチュアルな学びをドップリしていたときに、
そのフラフラが現れたんです。
講座の中では、
優劣はない。善悪もない。ジャッジや比較はしない。
全ては自分。全ては愛。この世には愛しかない。
私たちは全てを与えられている。
全てに感謝。私たちは一つでありワンネス。
etc.
というような、近年よく耳にすることについてを学んでいたわけですが、その一方で、
真実の自分に戻れる唯一の方法は聖霊に委ねること。
聖霊と共に赦しをすることでしかエゴや罪悪感はなくならない。
私たちはエゴに騙されている。エゴは狂気。
一つである私たちをこのように分離して見せているのは狂ったエゴの仕業。
私たちを真実の愛に導いてくれるのは聖霊しかいない。
エゴに従うのではなく、聖霊と共に生きること。
思考は意味がない。
肉体も本当の自分じゃない。
そもそも私なんていない。
過去も未来もない。時間なんて存在しない。
それらは全てエゴが見せている幻想。
etc.
ということも学んでいました。
つまり、同じ講座の同じ講師から、
真逆のことを教わっていたんです
「どんなヒーリングやセラピーも本当の意味では効果がない」
「真の癒しは聖霊に委ねて赦しをすることでしか訪れない」これ、ちゃんとジャッジしてますもんね(^^;
比較もしてるし、優劣もバッチリあります。
しかも、
「聖霊至上主義」 とも
「赦し至上主義」とも言えますし。
そして、
「聖霊→善」 「エゴ→悪」という見事なまでの勧善懲悪。
さらには、肉体や思考や会話など、何がそんなに憎いのか、
何かにつけて
「劣」や
「悪」となるターゲットを自ら生み出しては、
(※つまり常にジャッジしている)
それらを意味がないだの、バカだの、ただの妄想だのとバッサリ
切り捨てる。
ワンネスなのに。全ては自分なのに。
これのどこが
「全ては愛」なのか…

本当に善悪なんてないと思っているなら、
本当に優劣なんてないと思っているなら、
本当に全てが愛だと思っているなら、
本当に全てを与えられていると神やソースに感謝しているなら、
何かを切り捨てる必要なんてあるのだろうか?
ということに、お恥ずかしながら、学んでいる最中は気づけなかったのです(_ _;
ザックリ言うと当時は、
起こった出来事に対して
「エゴのせい」or
「聖霊のおかげ」
という見方の指導を受けていたので、
要するに
「自分がいない」状態だったのです。
軸が自分にありません。
いわゆる
「現実逃避」というやつです。
現実逃避しているときは、ある意味、心地がよかったりもします。
無意識とはいえ、良いことも嫌なことも外に責任転嫁している分、気持ちが楽だから。
その心地よさを、
「至福」と錯覚してしまったり

もちろん自分では現実逃避しているなんて思ってもいません。
「赦し」という学びで自分と向き合っていると思い込んでいましたから。
そこでは
「赦し」についても学んでいたのですが、
「自分の罪悪感を投影した相手(外の世界)を赦す。すると自分が赦される」という解釈だから、そこでも意識が外にいってしまって自分が消えていたんです。
(※しかも、見返りの赦しだし)
自分が消えているから、
最低限
「それを映し出している自分を赦す」という見方もできなかった(>_<)
つまり、心の学びをしているにもかかわらず、
自分と向き合っていないから、
全くもって本質に気づけていなかった わけなんです。
だから、
「フラフラ」という感覚で教えてくれていたんですね。
数か月もの間、真逆のことを指導されて
振り子のごとく右へ左へと大きく揺らされているよ、
自分の軸がないからだよ、ということを。
この感覚は、
「その指導者こそが本質に気づけていない、ということに気づきなさい!」という合図でもあったわけですが、
この合図をうまくキャッチできなかったからか、
後半はテキストを読んでいる最中にワケもなく
怒り が込み上げてきたことも

確かに途中でちょこちょこ
「おかしい」と何度か感じていたのですが、
前述のとおり、知らず知らず
「自分から逃避していた状態」が出来上がっていたため、
心の声に気づいてあげられなかったんですね。
で、残すところあと数回、と講座が終わるほぼ直前で、
どっちやねん!!!と断末魔のような心の叫びがようやく聞こえたわけなんです(遅っ!)
なんなら一層のこと、
優劣はあるよ→聖霊&赦しが一番だから。
善悪はあるよ→エゴこそが諸悪の根源だし。
全ては愛じゃないよ→思考もバカだし、肉体もニセモノだし、会話も妄想だし、
無駄なものなんて山ほどあるよ。
と、それこそ
ありのまま 言ってもらえれば断末魔の叫びなんて聞くことなかったのに…
と言いたい気持ちもありますが

いえいえ本質に気づけなかった
私が愚かだったのです(_ _;
というわけで、
いろんな意味でとっても濃厚な講座だったため、
そのほかにも物質やお金のことなど、正直ツッコミどころも満載なんですが、
全てを書こうと思うとあまりに膨大な量になるので
この辺でかなり大幅にカットして終了させていただきますが、
冒頭で記したように、この時の貴重な体験が、
その後、私の
気づきを加速 させてくれたのです

なので、結果的には大正解というわけです(あくまでも私の場合^^)
比較することができるから、理解が深まったわけですね。
受けているときはフラッフラでしたが、本当に素晴らしい肥やしとなりました

ちなみに、分離したように見える今のこの状態こそが既にもうワンネスだから、
ワンネスを経験しようと意識する必要なんてないし、
ワンネスを意識(経験)しなければワンネスだと思えないってことは、
今(つまりワンネスそのもの)を否定していることになるんですよね。
そして、ジャッジや、比較や、判断、をしなければ、
愛そのものを認識することもできないし、そもそも導くことすらできません。
なので、聖霊であれハイヤーセルフであれ、そのような高次の導き手と言われる存在も、
ジャッジしながら、比較しながら、本人にとっての善を判断しながら、導いているわけです。
それをせずに、一体どこへどうやって導けと?
つまり、せっかく与えられた
ジャッジ、比較、判断 といった能力を、
高い意識(←これが重要です!)でうまく活用しながら、
自分自身を最善最高に導く!ということですね

※低い意識でのジャッジ、比較、判断は自己否定などにも繋がるのでご注意を
