本来の自分に戻って魂を生きる -8ページ目

昨日はインナーチャイルドカードのセッションに立ち会い、
そして、セッションのやり方を教わりました^^

潜在意識が表面化されるセッションなので、とても奥が深いんです。
自分の潜在意識を自分の目で確認できる、という感じ。

ここ数か月の怒涛の気づきの中で、自分の今世の目的を思い出せたのも、
実は1年前に受けたこのセッションのおかげ
潜在意識が視覚化されるから記憶に残りやすいんですね^^

そこで、今日は改めて気づきについて書いてみようと思います

これまで色々と学んできて、今も色々と学んでいるけど、
やっぱり自分で体験して腑に落とさなければ、
知ったとは言えない、ということをつくづく感じます。

なので、私がブログに書いていることは、自分が身をもって知ったことになります。
何を偉そうな!と気分を害される方もいらっしゃるかもしれませんが、
もちろん何でも知っているわけではありません。
当然ながら、まだまだ知らないことはた~~くさんあるので、
あくまでも自分の経験を通して身をもって気づいたことだけ、を書かせていただいてます。



スピリチュアルの世界では、
愛の世界、光の世界という言葉で表現された世界を、
あたかも一元の世界のように言われていて、
その世界こそが幻想を超えた真実の世界のように言われていますが、
残念ながら、一元の愛の世界ってないんですよね。

全てがここにある世界ですから、愛があれば苦もあります。

光と闇を統合する、というのは、闇を光に変えるというよりも、
光と闇は表裏一体で、一つである、ということを受け入れることだと思っています。

なので、光だけが真実なのではなく、
光が真実なら闇も真実だし、闇が幻想なら光も幻想です。

光も闇もエネルギーだから変容します。
光は永遠に光ではなく、闇も永遠に闇ではない。
光が闇に転じることもあれば、闇が光に転じることもある。

愛が憎しみになったり罪悪感になったり。
そのことに気づくことで、今度は憎しみや罪悪感が愛になる。

諸行無常だからこそ、こうして変化はするものの、愛も苦も全てがあります。

闇(苦)は幻想で、光(愛)だけが永遠なる真実だと思ってしまうと、
苦しみのない愛だけの世界があると信じ、
闇だけを消して、光だけを残そう、と思ってしまうので、
自分にとって都合の悪いものは排除する、ということが知らず知らず起こってしまう。

光も闇も等しく無常だし、一つであるからこそ
一方が在れば、もう一方も在り、
一方を消せば、もう一方も消えます。

全てがある世界だから、その中から自分が何を掴むか(選ぶか)、なんですね。

なので、何かを消す(排除する)のではなく、
まずは 全てはある ことをジャッジせずにそのまま受け入れ(許し)、
その後、本質を見極めながら、何を手放し、何を手にするか、
あるものの中から必要な選択をしていく。

でもその選択は、何があるのか知らなきゃできません。

だからこそ自分と正しく向き合って、あるがままを内観することや、
観照することが大切だって言われてるんですね








先週の日曜日、アクセスバーズのプラクティショナーになりました^^




先月の体験会では、30分という短い体験だったからか、
特に何かを感じることはなかったんですが、
その後、「これ学ぶべきだよ!」との心の声が聞こえて、

いざ受講したら、本当に「学んでよかったーーー!!!」となりました笑

心の声、恐るべし
ブロック解除を学んだ時と同じぐらい感激した♡
私の周りでもプラクティショナーさんが増えているから今後が楽しみです

アクセスバーズのテキストの中に、以下のような意味の文章がありました。
この世の中には、自分ではなく、優しくしてくれる誰かを探し続けている人が沢山いる。
もし誰かが自分に優しかったとしても、自分が自分に優しくしてあげない限り、
それを受け入れることはできないものだ。


本当に納得です。

以前、心理学を教えている講師の方が、
「ブログの記事や自分の発言に批判してくる人がいても気にしなくていい。
価値観の違いだから、そういう人がいても相手にしなくていい。
自分は心理学を学んだから、そういうことで悩まなくなった」

とブログに書いていたけど、他の記事も読んだ上で色々と思うことがありました。

その批判が、自分への単なる「非難」「攻撃」なのか、
それとも「気づきに繋がる慈悲的なもの」なのか、
それすらも見極めないまま、価値観が違うから相手にしなくていい、とは如何なものか?と。

優しい言葉をかけてくれる人や自分に賛同してくれる人は諸手を挙げて迎え入れ、
耳が痛いことを言う人は道理に関係なく排除する。

そうなると、もはや後者の言葉は自分を攻撃する ジャッジ としか捉えられなくなり、
それらの言葉を恐れ、避けることでしか救いを求めなくなるため、
真の優しさとは何かに気づけないまま、
都合のいい優しさだけの世界を求めて自己逃避の中で生きようとしてしまいます。

もちろん、自分から逃げているのだから自分に優しくできるはずもありません。

私たちの魂は「前世・今世・来世」と輪廻を繰り返していると言われているけれど、
今世のこの生の中でも輪廻を繰り返していると言えます。

先ほどの例で言うと、
自分にとって都合の良いものに執着し、都合の悪いものを嫌悪する、という輪廻。

その輪廻に気づき、そこから脱しなければ、心理学を学ぼうが真理の道を求めようが、
何かを都合よく排除しようとする「自己保身への執着」は繰り返されます。

他にも、「勝ち負け」の輪廻から脱することができなければ、
後輩はもちろん同僚や先輩などの言葉や行いも認めることができず、
その結果、嫉妬や劣等感からくる焦燥やヒガミ、こだわりが繰り返され、
本質を見極めることもできなくなる。

仏陀は、河に入ることで罪業を洗い流せる、と教えていたバラモンに対し、
・・・・・・
河にいつも愚者は飛び込むが、黒い業は浄まらない。
河が何をするのか。
河は罪業を浄めない。
浄き者にはつねに春があり
つねに務めが成就する
ここでのみ洗え、バラモンよ。

・・・・・・
ということを言ったとのこと。

また、仏陀の教団にいた女性の修行者も、
もし水浴びで罪業から自由になるのが正しいならば、
亀やカエルも罪業をのがれるでしょう

と言ったとのこと。

バラモンの人たちからすれば、
「攻撃」や「非難」、「侵害的な言葉」に聞こえたかもしれない。
でもこれは、真に悟りを得ようとするならば、
「聖なる河に入る=心が浄められる」と見るのではなく、
自身の心と正しく向き合い、そこに潜むあるがままの姿を正しく見ることで心を浄めよ、
という本質をついた慈悲の言葉であると私は思っています。

河に入る行為そのものを否定しているわけではなく、
何をするにも心の在り方が大切で、
本質に気づこうとしないまま何かをやっても、それは精神修業でも何でもなく
自分を誤魔化すための単なるポーズ(パフォーマンス)でしかない、ってことですよね。

自分を誤魔化している以上、自分に優しくすることはできない。
自分が自分に優しくなれるためにも、内側も外側もちゃんと見つめ、
優しさを表面だけで捉えることがないよう、意識していきたいと思います






最近ある記事を読んで感じたこと。
そのことを率直に書いてみます。

「あるがままを見ることはできない」のに、
「ありのままを認める・受け入れる」なんてこと、できるのだろうか?




私たちの魂は、成長し、進化することを望んでいる。
動物や植物といった生きとし生けるものを含め、
全ては無常であるからこそ、それが自然の仕組みなのかもしれない。

魂は体験することで成長や進化を遂げたいと思っているのに、
潜在意識にある過去のトラウマや記憶(カルマ)がそれを妨げる。

だからこそ、変化したい自分と、変化を恐れている自分がいる。

その二つの自分を、 ありのままに認めればいい
そして、どちらを選べば自分が喜ぶかを素直に判断すればいい。

魂の願望に従うか、
過去のトラウマに従うかは自分で選べるのだから。

ただ、魂の願望に従いたくても、
無意識に過去のトラウマやカルマに引っ張られてしまう。
だからこそ世の中には、
それらを癒し、手放すためのヒーリングやセラピーといった
メソッドなりツールなりがあるわけで。

でも中には、トラウマやカルマといった想念は実在しないのだから、
何も変える必要はない、
変えようとすることが不幸の始まりである、という人もいるようだ。
うん。それならそれで、何もしなければいいと思う。

仮に自分を嫌っているなら、当然そのように思う理由があって、
自分を嫌うに至った思い込み(原因)を持っている。
だからこそ「自分が嫌い」という今(結果)があるわけで、
その原因(思い込み)が実在しないというなら、
その結果(自分が嫌い)も実在しない
ことになる。
ならば前述のとおり、どちらも実在しないのだから、
変化を促すツールやメソッドは、当然ながら必要なくなるし、
そうなるともちろん、
「自分が嫌い」という実在しない想念を、ありのまま認める必要もない

だから、何もしなくていい、となる。

どんなツールもメソッドも、
「それをしよう(あるいは受けよう)とする心」を素直に認めれば、
おのずと変化を望んでいる自分に気づくはず。

その心をただシンプルに認めればいい。
その心こそ、ありのままに受け入れればいい。
無理に反抗することも抵抗することもないし、
その反抗と抵抗が苦しさを生んでいるだけのこと。
ましてや他のツールやメソッドと同じく自らが推奨するメソッドが
結果的には変化を促すものであるのなら、尚更素直に認めればいい。

ありのままを認めることで変化を促しながら、
「あるがままに見ることはできない」「変えることには意味がない」とするのは、
何かに強く反発したい心
何かを認めたくない心
何かを受け入れたくない心

があるからであって、
そういう心を都合よく見ないようにして自分を誤魔化しているだけのこと。
それもまた、ありのままに認めたい。

ジャッジはエゴを見分けるために使うのなら、
今こそ、そのエゴを見分けるために使いたいし、
「あるがままに見ることはできない」「変えることには意味がない」と、
わざわざジャッジする必要もない。

自分の心を「あるがままに見て」「ありのままに認める」素直さがいかに大切か、
それを改めて感じた。
分離しているからこそ学べる喜び。
いただいたご縁に感謝ですスマイル





前回の記事を、
スピリットコンディショナーの徳永順子さんにご紹介していただきました

「今」はゼロポイント

以前にも書いたけど、ハート順ちゃんハートは本当に本質を見抜く力を持ってる人。
表面だけでなく深いところのエネルギーも感じ取れるから、誤魔化しは通じない。
だから言葉に重みがあります。

私が「今世で自分が目指しているもの」に気づいたのも、
実は順ちゃんの的確な言葉がきっかけでした。
その言葉がストンと私の中に落ちてきて、それからです笑
色んなことを思い出し、怒涛の勢いで気づきが加速したのは。
順ちゃんの本質を見抜く力、本当に凄いんです

ではでは、今日は前回の続きとなる内容で、「自分が選んでいた」ことを実感したお話です。



私たちは親を選んで生まれてきている。
ということを聞いたのは、かれこれ10年ほど前になります。
そして、心の学びを始めてから、全ては自分が選んでいる、ということを改めて知りました。

でもそれは、まだ「知識」として頭で理解していただけで、
まだまだ本当の意味で心には落とし込めていませんでした。

それが今回、「今世で自分が目指しているもの」に気づいてから、
「自分が親を選んだ」ということに、初めて心の底から 納得 し、驚いたんです

なんと私は、「今世でこうなる」という目的があって、
その目的のために今の親を選んでいた

世間では、親や環境によって植え付けられた価値観を
「いけないもの」のように扱っていますが、
いえいえ、その価値観も計算済みで生まれてきていたんです。

私の場合、これまでの一番大きなターニングポイントで、
ある苦渋の決断に迫られたのですが、その時、自分の魂に正直な決断ができたのは、
今の親もとに生まれたからこそ持つことになった価値観があったから。

その中の一つは母のこと。
母の人生観や生き様に矛盾を感じていた10代の半ば、
「この人は何のために生まれてきたんだろう。いくらなんでも、あまりにも悲しすぎる」
と思っていたその思いは、いつしかイラダチに変わり、
母を愛していながらも「この人みたいにはなりたくない」と相反する思いが芽生えた。
(なのにその後、知らず知らず母と同じ人生を選んでいたΣ(゚д゚;)

あの親、あの環境だったからこそ生まれた価値観。
そしてその価値観を使ったからこそ、最大のターニングポイントで
自分を誤魔化さずに、自分の心の声を優先して行動することができた。

そして、その重大な決断をしたからこそ、
その後、ある苦しみを味わい、自分を嫌い、自分を責め、
人生について、自分について、本気で考えさせられるようになったのです。

もし違う親、違う環境で育っていたら、
私はきっと、周りの目を恐れ、自分の本当の心を無視して、
世間の常識に縛られたまま、魂の目的とは違った決断をしていたに違いない。

これに気づいたとき、本当に自分で選んでいた!と驚きました。

もしかすると、過去に何度も失敗していたのかもしれない(><;)
過去生でクリアすることなく何度も同じことを繰り返しているのではないか?
というのも、本当に計算されているから、
今世では必ずや達成するようにと練りに練られた執念のシナリオなのではないかと笑

前回の記事にも書きましたが、
私が育った環境は決して普通とは言えなかったので、まぁ色々とあったわけですが、
でも、そんな中でもうっすらと親の愛を感じることはできた。
そして、苦渋の決断の後も、その苦しみ度合は半端なかったけど、
やはり身近な人の愛を感じられた。

つまり、どんなに苦しい時でも、心がボキッと折れて修復不可能にならないように、
「ムチ」の中にもちょっぴり「アメ」という配慮があって、その匙加減が絶妙なんです。
アメが多いと居心地が良くて変化を促せないし、ムチばかりでは心が折れて挫折する。
この匙加減は、熟練していないと無理なんじゃないかと言えば大げさだけど笑
まさにゲームとか、弁護士資格とか、とにかくそういうのにチャレンジし続けていたら
だんだんとコツが分かってきた、みたいな感じ?

それでも私の感覚からすれば、予定より10年ほど遅れているのではないかと。
あまりにも自分を責めていたため、
10年前のチャンスをチャンスと気づけずに、そこから逃げてしまったんです
で、同じような出来事がまた目の前に現れ、
今度はそこから逃げることなく本気で向き合い、今に至る

そういうわけで、とにかく全ては自分の目的のためだったんだと分かってから、
ようやく「自分が選んだ」ということが腑に落ちたので、
心の奥底に根深く残っていた母への負の感情が気持ち良いほどスコーーンと外れました。

そもそも母がああいう人だったからこそ結果的に私はベストな選択ができたわけだし、
なにより、「この親のもとに生まれたらこのような価値観を持つだろう、
そしてその価値観をもってある重要な決断をしたら、うまく目的に向かうことになるだろう」

と想定して選んだのは自分だったんだから文句を言えない(^^;
文句どころか「ありがとう」という感謝の言葉が
今までとは別の領域(より深いところ)から出てきたほどです。

もはや気づいたからには、今後もこの世界でしか味わえない体験を楽しみながら、
魂の目的に向かって成長するしかない!
執念のシナリオ?かどうかは分からないけど、今世でクリアできるといいな~~






「今世で自分が目指しているもの」
これに気づいてから、自分の人生が「なるほど!だからこうなのか!」と、
ものすごく納得したというお話は以前にもしましたが、

振り返ると本当に濃い人生だったな~と改めて思います笑

なにを隠そう、つい最近まで自分の生い立ち的なものを誰かに話したことがなく、
どんなに親しく過ごした長年の親友でさえも、
私の育った環境を知っている人はいませんでした(^^;
本当につい最近、学びの友であるごく数名に軽~く話したのが初めて。
それでもやっぱり軽い流れだけ。

そもそもあまり人に言えるような内容でもなかったし、
言ったところで相手もリアクションに困るだろうとも思っていたし、
私自身「誰かに知ってほしい」とか「聞いてほしい」という感覚もなかったし、
なにより「自分より不幸な人は世の中ごまんといる」と、
なぜかまだ世の中を知らない幼少期のころからそのような感覚を持っていたので、
自分が不幸だとは思っていなかったんですね。

で、ある程度の年齢になって、
学校で友人らが自分の悩みを打ち明けたりするわけですが、
毎回その内容を聞いては、

え?そんなことで悩んでんの?・・・・・・とビックリしていました

当時は子供ということもあり本当に未熟だったので、
その人にはその人の苦しみがあるという見方が出来なかったんですね。
今はその苦しみに対して別の見方が出来るようにまで成長しましたが、
それでもまだまだ途中段階なので本当に日々精進です。

社会人になってから自分のことを話す機会があっても、
言えるのは 「極貧だった」 ということぐらい。
それぐらいなら言える範囲だし笑
とまぁ色んな意味でなかなかのデンジャラスな環境で育ったわけですが、
その後の自分の人生で、
自分が選択した道でありながら「なんで!?」と思うことがあって、
とてつもない罪悪感から自分を責め続けてきたわけです。

本当に苦しくて、記憶喪失になりたいと何度思ったことか…(_ _。)

誰もがそうであるように、
私もやっぱり色んなことがあって心の学びをはじめ、今に至るのですが、
ブロックや過去生を浄化することで、本当に少しずつ心の中が軽くなり、
どんどん視界がクリアになってきました。

ブロック解除も過去生の浄化も、
自分を知ることができるので、今起こっていることに納得できたりするんですね。
そんな中、一番強く持っていた罪悪感も、
過去生を見ることで、その「きっかけ」となった根本原因を知って
かなり解消されてはいたのですが、

今回、「自分が目指しているもの」がわかってから、
本当にスコーーーーンと色んなブロックや謎が一気に解消されたんです。

幼少期や過去生を見るときって、
「過去が原因」「今が結果」という見方をしますよね。

それが、「今が原因」「未来が結果」という見方になったんです。

そうすると、自分は未来こうなることを目指していたから、
今がこういう人生だったのか!という気づきが怒涛の勢いで起こって、
自分に対する迷いが本当になくなりました。

「自分を認める」とか「自分を信じる」ってよく聞きますが、
認めようとか信じようと意識しなくても、
自動的に自分を認めて信じている状態になっているし、
ある意味、未来の自分が分かったから、
その途中段階の今の自分をものすごく理解できる。
そして今後どのように進むべきかも分かる。

全てが未来(目指していること)のために起こっていたし、全部がそこに繋がっていたので、
あれほど罪悪感にさいなまれていた自分の行動を、
むしろあの時、自分を誤魔化さずに心の声を優先してえらい!と、
やっと当時の自分を褒めることができたし、
周囲の人たちへの思いも償いから感謝の念に変わりました涙

その道を選んだことで色んな苦しみを味わったけれども、
全ては自分が定めた未来の目的のために選んでいたんですね。
まさに完璧でした笑

これを魂の願望と呼ぶのか、魂の目的と呼ぶのかは分かりませんが、
スピ界でよく言われている「使命」とはまた違う。と思います。

自分の本心が本当に求めていること、目指している未来に気づくことは、
今を知り、自分を知ることに大いに役立つし、
手放せずにいた迷いや苦しみからも解放される。

自分を知れば知るほど、全てを与えられているこの世界に心から感謝です