今日はちょっと辛口です。
以前の記事で、
「この先はさらにマニアックになることもあると思う」と書いたのですが、
実は、ある本について書いていこうと思っていました。
でも、その時点ではそう思っていたのですが、
その後すぐに思いなおして、書くことをやめたのですσ(^_^;)
というのは、誰も「そのこと」を望んでいないからです。
少なくとも私の知る限りでは、
本当に気づきたいと思ってその本を学んでいる人は、「いない」からです。
私がその本を知ったのは、某養成講座でした。
私は昔からほとんど本を読まない、というか、
読んでいられないことが多くて(最近になってようやくその理由がわかった)、
ちゃんと読了できた本は世間的に見ても極端に少ないぐらい読書が苦手なのですが、
講座の内容が途中からその本の内容に流れていったことで、読むことになったのです。
その本は世界のスピリチュアルリーダーたちがバイブルにしている、と言われているらしく、
なかなかの分厚い本(三部構成)な上に、難解と言われているので、
なにやら一気に読むのではなく、
1日3ページずつぐらいの割合で読み進めたほうが良い、と教わり、
それを日課にしていたわけですが、
私は途中でその本から離れました。
同じことを繰り返し伝えている、ということがわかった、ということもあるのですが、
一番の理由は、毎日行うワークに疑問や違和感を覚えたからです。
もちろん、あくまでも私の場合です。
で、離れてから11ヶ月。
私は、自身の内側に存在する神的意識(と言われているもの)と繋がったことで、
それまで段階的な気づきによって理解してきた世界が一気に見え、
受け取るメッセージの裏側(真の意味)が理解できるようになり、
自分がクリアになったことで、
その本に書かれていたことや、そこから放たれているエネルギーなどもわかり、
端的に言うと、目に見えないカラクリ的なことがわかった(見えた)わけです。
その本には、確かに神聖なメッセージが含まれている。でも、
著者や出版に携わった人たちの強い信念、価値観、思想なども色濃く反映されている。
それ自体は何も問題ない。
そういう本はいくらでもあると思うし、
読者がそこを理解して読む分には、他のスピ本と大きく変わらない。
人によってはかなり興味深い内容とも言える。
でもそれを、
100%神聖なメッセージで綴られていると信じて疑わない、となると話は違う。
そうなると当然この本は神格化され、
そこに書かれていることが真理として正しく、そうでないものは間違っている、
という排他的な心理になってくる。
事実、表面上では全てを受け入れているかのごとく装っていても、
中身はまるでそうでない人々がいる。
もちろん何を信じても個人の自由だけれど、
そのような心理になっている自分に気づかなければ、いろんな意味で危険 だと思う。
ましてやこの本を神格化することで、
便乗商法的に営利活動をしている巧みな人が結構いるのだから(海外にも)、
やはり何事も、自分に都合よく見たいように見るのではなく、
「あるがままを見る」意識が大切になってくるように思います。
※営利活動を否定しているわけではなく、冷静に見極める目が必要ということ。
また、あくまでも私の知る範囲では、この本に心酔している人の中で、
そこに書かれている霊的なメッセージを真に理解している人は、いない。
だから、どんなにそれを学び、知ったようなことを言っていても(書いていても)、
理解や解釈が非常に浅い。
それは、著者や出版に携わった人たちの信念や価値観などが多く混入されている、
というのもあるけれど、
一番の理由は、そもそも学んでいる当人が、
気づきたい、理解したい、知りたい、と思っていない。
真の気づきを避けている。
つまり、自分から逃げているわけです。
でも、自分から逃げている、なんて認めたくないから、それらを学んでいることで、
崇高な学びをしている特別な自分、
向き合っている自分、
逃げていない自分、
気づこうとしている自分、
気づいた自分、
などを演出し、周囲や自分を誤魔化している。
そうして、ポーズだけで自分を満たし、そこで満足しようとする。
だから、神の子どころか、むしろエゴが強まっている自分の姿にすら気づかない。
中には以前より、引き寄せを引き合いに出して、
この本(教え)との違いをもっともらしく解説している人もいるけれど、
人の受け売りや上澄みだけをすくった浅い解釈のためか、
自身がやっていることも引き寄せの範疇だということに気づいていないし、
そもそも引き寄せ自体には何ら問題がないことにも気づいていない。
まずは今の自分を認め、自覚する。
それだけでかなり違ってくるのですが、実際はそれすらも 赦さない。
結局は逃げている自分を「悪」とジャッジしているから認められない(赦せない)わけです。
というわけで、周りや自分を誤魔化し、
自己逃避を正当化するためのポーズに用いているものを、
わざわざ題材にする必要はない、と思い改めたので、
今後の記事はそこまでマニアックになることはないかな?と告知しておきます

何よりも自分に素直になりたいね




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