このブログは、決して今の自分を非難しているわけではなく、
私が受け取っている スピリチュアル的あるべき姿 という意味で書いています。
引き続き参考資料です

突然ですが、①の自分は何も知りません。
何を知らないのか?
②の存在を知りません。
だから、「満たされている」ということも、「自分の中の真実」も、何も知らない。
また、知ることもできません。
なぜなら、①の自分は、④と繋がっていないから。
繋がっていないから、外からの情報や、机上の知識でのみ④を知ります。
①の自分は、心が貧しい。
心が貧しいという言葉は耳触りが良くないけど、
これは、本当の意味で満たされていないということ。
だから、愛を欲したり、愛を知ろうとして、それらを外に求めます。
中には、自分が愛になろうとする場合も。
人の本質は 愛(④) だと聞かされたことで、自分が思い描く愛を基準に愛になろうとし、
特別な自分、崇高な自分になったかのように振る舞い(錯覚し)、
そんな自分に酔いしれてしまったり。
全ては心が貧しい自分を慰めるために、外からの承認を必要としているだけ。
それは、本来の自分から離れているから、②の自分を知らないから、そうなってしまう。
②の自分は、何にもとらわれていません。
それは、すでに満たされているから。
満たされている私たちは、何かにとらわれることも、何かになろうともしません。
愛になることも、愛を求めることも、愛を知ろうともしない。
それは、④を知っているから。
②は④と繋がっているから、④を知っています。
自身の内側で静かに満ちている温かい存在を知っています。
私たちは、ただ②に戻ればいいだけ。
そうすれば、外からの影響で左右される満足感や安心感ではなく、
内側から満ちている存在、
それこそが自分自身なのだということが、本当の意味でわかります。
私たちが②の自分から離れない限り(①にならない限り)、それはずっと続きます。
人にはそれぞれの真実(魂の願いや目的)があります。
私たちが②の自分を生きた時、その、真実の道に進みます。
②の自分は、それこそが魂の喜びであり、全体の中の個の役割だと知っています。
そしてそれは、特別なことをしなくてもすでに特別で、周りに自然と影響を与え、
全体の霊的成長に繋がっていることも知っています。
本来の自分(愛)とは、そういう存在。
②の自分から離れれば離れるほど、自分の真実(魂の願いや目的)を見失い、
他者の真実が自分の真実かのように錯覚します。
そうして、他者を羨み、嫉み、妬み、焦り、とらわれ、
自分以外の誰かになろうとしてしまいます。
①の自分は、何も知らない。
④と繋がっていないから、知ることができない。
でも、②の自分は、ちゃんと知っています。
それは、④と繋がっているから

まだまだ続きます








という感じです(*_*)
(その意味は追々伝えていきたいと思います(;^_^A)。