You'll See the Sun AGAIN.
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自作自演。

わたしは淋しい。


とても。


淋しいと感じている人というのは

じぶん自身が淋しさの原因にもなっている。

それなのに

どこかで気がつくことをためらっている。

そして焦燥感。


「助けてもらいたい」

なんて

少しも思わないけど


わたしは淋しい。

気がつけば。

「じぶんは将来あんなような大人にはなりたくない」



そう思っていた頃の大人たちと同じ醜態を晒している。



眼の前の天井の何と高いこと。

思い出。

いつもわたしの冗談を笑顔で聴いてくれる人。
いつも休みの前日に会う約束をする人。
いつも微笑みかけてくれる人。
ふたりはすごくうまくいっている。
5年間も一緒にいるのだから。
もっともっとあなたのことを知りたい。
これから先の未来。
あなた以上の人は現れないだろう。
あなた以上の人。
あなた以上の人なんているのだろうか?
望まない。
望めない。
暖かい。
暖かすぎて身動きが取れない。


枕元のデジタルが目に霞む。
AM1:45。
あなたはわたしの目の前で静かに消えた。
あらかじめ30分で完結するよう綿密に計算された物語。
あなたは消えた。
消えた。
本当は消えることなんてできないはずなのに。
あなたなんて初めからいなかったんだから。
あなたと一緒の5年間の思い出。
ひとりきりで過ごした濃密な30分のまどろみ。

最後の暖かさの余韻が消えていく。
どうしてわたしだけ置き去りなの?
どうしてわたしはこんなにひとりなの?
わたしから逃げたい。
どこまでもあなたを追いかけたい。
わたしはどこにも行けない。

気休め。

時間でもいい
体力でもいい
どちらかひとつだけでいいから
少し余分に持てるのであれば
もっともっと色々なことができるのに。


というのが

たぶん


物憂げで悲しげな言い訳面をした
都合のいい言い訳に過ぎない

ということに
最近気がつき始めている。


まだ
そんな戯言を捻り出せるくらいの余裕が
どこかにあるじゃないか?


理屈ではわかってはいても
今日もこんなところを彷徨している。


何かを越えたい。


でも何かを越えるには重たすぎる。
何もかもが。


せめて身体だけでも身軽な方がいいに決まっている。
だからダイエットは必要なのだ。


人生は究極のダイエットなのだ。

失格。

身体の準備も、否、心の準備すらできてないというのに、

なぜか試合で泳がされることになった。

しかも200mのブレスト。


「100mじゃないんですか?」と審判に問いかけてみたが、

やっぱりどうしても200m泳ぎなさいとのこと。


試合で200を泳いだのは中3のときの六校戦で

奇跡的に2位になったとき以来だろう。

以降、ここ数年は、まともに泳ぎこんでないから、

200mダッシュするだけの体力なんてあるわけないのに、

どうしよう?


でも、容赦なく飛び込み台へと歩かされ、

ピストルの合図でスタート。


飛び込んですぐに気がついた。

音楽が聞えてくる。

あ、I-Podを外さずに、スタートしたのか。


すぐに水の外に出さないと壊れてしまう。

さっさと25m泳いで、プールサイドに引き揚げなければ。


そして、最初のターンのときに、I-Podとイヤホンを外し、プールサイドに置いた。

2秒ほど遅れて、ターン。

ものすごいタイムロス。

戦意は急降下。


このあたりで、じぶんがいま夢のなかにいるということに気がついたが、

すでに泳ぎ始めてしまっている以上、最後まで泳ぎきってやろうと思って、

それ以上余計なことを考えずに、ただ目の前の水をキャッチし続けた。


しかし、125m目に突入したところで、目が醒めた。


とても、ありえそうにない夢。


まず、I-Podほどの精密機械が、水中に10数秒間さらされて故障しないわけがない。


それに、最初のターンのときに立ち止まった時点で、

ブレストの左右対称のフォームが崩れる以上、間違いなく失格になる。


いまのわたしにとっては、

競泳に勝つことよりも、I-Podの方が大事ということなんだろうか。


ずいぶんとちっちゃな人間になったもんだ。

[眠れない夜の3部作]♯3 「午前5時半過ぎ」

わたしは空を飛んでいた。
自力で。
良くわからないけど、悪い集団から追われていた。
山を越え、そして谷を越えて。
それから、これは、よく夢に出てくる景色、
足立区綾瀬あたりの高架とコンクリートに囲まれた河川からなる、
無機質な都会の、郊外的な1コマ。


空を飛んでいる時点で、
わたしは、これは夢なんだと気づいていた。


その後は一体どういう展開だったのか、思い出せないけど、
いつの間にか数学の問題を与えられ、解き始めていた。
正解を出すことが、何か重要事項の交換条件だったような気がする。

わたしが紙と鉛筆で必死になって方程式を解こうと四苦八苦していたその横で、
アカネさんという人が、PCのプログラムを利用して、
いとも簡単にこれを解いてしまった。
ワインレッドの画面に白い文字の数式を打ち込んで。
機械に滅法弱いわたしは、そのスマートな手法に感動して、
「さわりだけでいいから、プログラミングを教えてください」
と言ったところで目が醒めた。

もっとお話したかったのに。



わたしはストレスを感じているときによく見る夢のパターンがある。
ひとつは、高校の数学の試験を受けているパターン。
それから、学校に遅刻しそう、あるいは遅刻して言い訳を考えているパターン。


高3のときの数学の試験は、本当に苦痛だった。
制限時間内には到底終わらないような問題数がいつも出てくる。
当時、定期試験に対して超完璧主義を貫いていたわたしにとって、
試験時間が絶対的に足りないという不条理のために、
空欄を残したまま答案を提出することなど、屈辱以外の何ものでもなかった。


「できそうな問題だけ、焦らず、しっかりと完成させてください」


焦らせているのは・・・おまえだ・・・


いまでも、このときの教師の方針には賛同できない。


人生にやり直しがきくなら、いつに戻る?
高校時代に戻って文型のコースに入ること、これも魅力的な選択肢の1つだ。



遅刻。
これは中高時代のわたしにとって、死刑宣告に等しかった。

中学の時に1度だけ、生物の授業開始に10秒遅れたために、
不運にも遅刻が記録されてしまったが、
それを除けば、わたしは6年間、無遅刻無欠席である。
卒業式では、中高ともに無欠席者として表彰されている。
逆に言えば、無欠席者が表彰されるということがわかっていたからこそ、
わたしは、がむしゃらにこれにこだわり続けたわけだ。
雨の日も風の日も。
高熱を出して起き上がっていることさえ、困難なときでも。
そうして、勝ち取ったのが、無欠席表彰状、という紙切れだった。


しかし、その単なる自己満足な栄誉が、
その後の人生で、うっすらと暗い影を落とすことになるとは、
当時のわたしは考えもしなかった。


高校卒業から、1年が経ち、3年が経ち、10年が経っても、

いまだに、
「学校に遅刻する、どうしよう」
「コンサートの開始に間に合わない」
とパニックに陥っている夢を見る。
それが夢だと気づいたときは、空を飛ぶなりして、
何とか間に合わせようとするが、たいてい1限や開幕には間に合わない。
そして、権謀術数の限りを尽くして、これをもみ消す工作をしようとする。


優等生になって、家族を喜ばせたい。
それから、もちろん自分自身の誇りのために。

しかし、その当時の若く蒼い志が、少なからず自分自身を

残酷に、心理的に追い詰めていた。

ただ気がつかなかっただけで、相当な無理を強いていたのだろう。

もっとeasy-goingな心のゆとりがあったならば、
別の人生もあったかもしれない。


まだ、振り返るには、いささか早すぎるとは思うけれども。

[眠れない夜の3部作]♯2 「午前3時過ぎ」

新たに個人指導の塾でバイトをすることになったという設定。
集団で研修ガイダンスを受けた後、さっそく初回の授業。
舞台は以前、わたしが短期間バイトをしていた塾だった。


終わった後に、受け持った生徒の保護者からクレームが来ていると、
塾の室長から呼び出しがかかる。。
・課題が終わった生徒をさっさと帰宅させなかったこと、
・騒いでいる生徒を黙らせるために暴力を振るったこと、
以上の2件について事情を確認したいとの旨らしい。
でも、それらを差し引いてもわたしの授業には定評があるとかで、
今後も引き続きその生徒を受け持ってほしいと改めて依頼される。
夢の中で、これはデジャヴーか?と疑ってみたところで目が醒めた。




ある意味、現実に起こりえた事々の再現なのかもしれない。
わたしはかつて塾の研修ガイダンスで、
頑なまでに型に嵌めて均一に教えようとする塾の教育方針に賛同できず、
終始不機嫌な態度をとり続けて、幹部さん達と真っ向から衝突したことがある。


とはいえ、現場では、どんな不愉快なことがあってもプロ意識を持ってやる。
授業時間は厳守、始まりも終わりもきっちり守るのがわたしの方針。

しかし、やる気のない生徒に嫌がらせをすることもないし、暴力も振るわない。
なにせ相手はお客様なのだから。
不満の矛先は、問題児を放置し続けて何の解決策も見出せないような、
融通の利かない塾側のやり方に向けられる。
だから、わたしは、この手の個人指導塾は大嫌いである。


わたしは将来、教育現場に関わる職に就きたい。
しかし、一歩でも足を踏み外したら、
塾や予備校で一日の大部分を過ごすような、後半生になりかねない。
そんなのは嫌だ。


明日からはもう一度気合を入れなおして、
研究活動に精進しなくてはならない、そう思った。

[眠れない夜の3部作]♯1 「午前1時半過ぎ」

キリンとヒツジのあいのこのような、
不思議な格好をした目が愛らしい動物。
かなり、わたしになついている模様。


なのに、あろうことか、
そのかわいい仔をだまし、電気棒で追い立てて、
と蓄係に回すのがわたしの役目だった。



現実のわたしは、もう肉は食べないって誓いを立てているのに・・・
9月から、暇なときにたらたらと読み進めている、
『世界屠畜紀行』が何らかの刺激になっているのかな。

しぶとい偶然。

いま、気になる人がいる。


気になる、というよりは、
鼻につく、といった方がいいかもしれない。

もっとも、しゃべったこと自体ほとんどないのだけれども。


ちなみに、わたしにとって、
生理的に受け付けないような外見というわけでもない。


ただ、その人の言動を目にし耳にしていると、
わけもなく、どこか落ち着かないような、
断続的にイライラを掻き立てられているような、
そんなような居心地の悪さに襲われてくるのだ。


最近になって、その理由がわかってきた。

その人にとっては当たり前のふつうの仕草が、
わたしの嫌いな、ある人の仕草に重なって見えているらしい。


一度、そういうふうに見えてしまうと、
二度と色眼鏡を外しては見られなくなる。


実際に、仲良くしてみれば、
すごく気が合う人なのかもしれないのに。


でも、その不確かな将来性のための痩せ我慢なんて、
やはり無理だ。


人の良し悪しは、見た目より性格というけれども、
性格の良さに気づいてもらう前に、
見かけで人を遠ざけてしまっているとしたら、
それは損なことだと思う。
どんな人にでも起こりうることだとは思うけれども。
(広義の見た目には、視覚的な外見だけでなく、
動作、仕草も含まれるはず)


しかし、それにしても今回の場合は、
その人自身の見た目に元凶があるわけではないし、
何だか気の毒に思えて仕方ない。


わたしは、この人に会う以前に、
この人と似たような話し方をする人を嫌いになった、ただそれだけ。
この件は、謂わばそういう偶然がもたらした、二次災害である。


結局のところ、わたしはいつまでたっても、
人を見た目で判断することから始めてしまう。
極端なまでに性格重視型のコミュニケーションを奨励するような、
現代的な価値観に逆行しているなんてことはわかっている。


わたしは、たまたま他の人たちより、
視覚刺激の影響を多く受け入れる体質なんだと思う。


ただそれだけ、でも存在感のある偶然。

うつりにけりな。

先日
なんとなくTSUTAYAに行って
中学時代に流行ってたJ-POPのCDを探してみた。
かるーく
懐メロコーナーに追いやられてた。
将来
巣鴨あたりでしか
入手できなくなる日も来るのだろうか。
そう考えると
かるーく
背筋が寒くなりますわね。
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