実は、落ちこぼれでした | ブットラー惠子 個人向け グローバルキャリア&ビジネスコーチング

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ドイツ会社員歴約20年。【海外で働きたい!】という夢やキャリアパスや仕事の悩みを解決思考力&行動力アップの方法をお伝えします♡

こんにちは

 

ドイツ会社員歴15年の

ブットラー惠子です。

 

 

突然ですが、みなさんは

どんな学生時代を

過ごされていましたか。

 

 

私はお恥ずかしながら、

勉強のできない、

いわゆる

 

「落ちこぼれ」

 

でした。

 

 
勉強ができなかった、
 
と言う以前に
勉強をした
記憶がありません(;'∀')
 
 
 
学校帰りに
友達と寄り道したり、
遊んだり。

 

雨の日は家で

 

絵を描いたり、
漫画を読んだり。
 
 
そしてバレー部に
入ってからは
部活少女でした。
 
そんなバレー部でも
落ちこぼれだったんですが、
この話は後日。
 
 
そんな感じなので、
宿題をした記憶は
ありません(笑)。
 
きっと
「忘れました」で
切り抜けてたのだと
思います。
 
 
姉の影響で公文教室にも
通っていましたが、
同じでした。
 
 
母親によると、
 
「お姉さまは
優秀なんだから、
惠子さんもおやりになれば
出来るのに…」
 
と公文の先生から
言われたとか。
 
 
成績がいいのは
体育と美術だけで(笑)、
あとは並か並以下。
 
 
だから
成績表をもらう
学期末の日は恐怖。
 
父親が仕事から
帰宅すると
押し入れに
隠れたりしていました。
 
当然すぐ見つかるので、
そうすると
父親に怒鳴れて
泣いたりしていました。
 
 
姉が秀才で、
おまけにものすごく
勉強家だったので、
 
余計悪く見えたの
かもしれません。
 
 
でもそうやって
父親に怒鳴られたり
ヒドイ時には無視を
されていたんですが、
 
それでも勉強をしなきゃ、
という気には
ならなかったんですよね。
 
 
中学校に入っても
そんな感じでした。

 

 

そんな中学2年生の夏、
祖父が亡くなりました。

 

 

 
 
物心がついて
初めて直面した
「人に死」でした。
 
祖母もその数年前に
亡くなったんですが、
 
まだ小さすぎて
「死」というモノを
理解できていませんでした。
 
 
当時、
私たちの家の前には
 
祖父がずっと
耕していた畑が
ありました。
 
 
14歳になる直前だった
私でも、もうじきこの畑が
なくなることは
気が付いていました。
 
だから祖父が亡くなった
数日後に、
一人鍵を開けて
こっそり畑に入りました。

 

赤く熟したトマトが

収穫されないのを見ながら、
 
「何事もずっと続かない。
 
今って
大事にしないといけないんだ」
 
と人生の有限に初めて
気が付いたのでした。
 
 
勉強をするように
なったのはそれから。
 
 
でも初めは
「勉強の仕方を学ぶ」
ところからでした。
 
まずは教科書の暗記。
 
そして今までは上の空
だった先生の授業も
ちゃんと聞いて、
メモするようになりました。
 
 
以前も少し書きましたが、
高校1年生の時に初めて
英会話プログラムに参加。
 
 
アメリカのホームスティ先
では全然話せなくて
悔しかったので、
 
帰国してから英語も
勉強するようになりました。
 
 
それにつれて
学力も少しずつ上がって、
 
そして、それなりの大学に
入学できました。
 
 
それでも
「就職超氷河期」
ということもあって、
 
就職浪人に
なったんですけどね。
 
 
 
でも今振り返って思えば、
 
小さい頃に遊び倒して、
落ちこぼれで
良かったと思います。
 
 
小さな頃の私
 
 
叱られて、
怒鳴られて、
無視されて。
 
腹が立って、
傷ついて、
苦しかった。
 
でもそのおかげで
 
私は今、
人の痛みを理解できる。
 
 
自分が底辺にいたから、
 
誰にでも
優しくしたいと思える。
 
 
落ちこぼれだったから、
 
今あることに
感謝できるようになった。
 
 
だから、
今こうやってドイツで
 
妻として
会社員として
 
幸せに
生活している。
 
 
落ちこぼれでも、
結構じゃないですか。
 
私はそんな風に思います。
 
 
日本は今台風が直撃だそうですね。
皆さまくれぐれもお気をつけて