春の島旅の1日目
西ノ島(西ノ島町)・別府港から小型船に乗り込み7分で…
隠岐の島2島目となる中ノ島(海士町)・菱浦港に到着~
ヽ(・∀・)ノ
ダイナミックな大自然が人気の西ノ島に比べると、中ノ島はそこまでの観光資源はないんだけど…
町の独自の取り組みが評価されてIターンや島留学など県外人口が1割に達するほど、全国でも注目度の高い元気あふれる自治体なんですよ
港はとても小さいけどオシャレでキレイ~
(*´艸`*)
中はこんな感じ
このターミナル施設の名前は「島の駅 キンニャモニャセンター」
キンニャモニャ…?!
(。´・ω・)変な名前。。
外に出ると「キンニャモニャ踊り」の像に…
キンニャモニャ踊りのカラーマンホール
キンニャモニャ踊りとは、キンニャモニャ節という海士町の民謡に合わせて両手にしゃもじを持って踊る郷土芸能のこと
北前船で熊本から伝わったとか、キン(金)もニャ(女)も好きだがモニャ(文無し)というキンニャモニャ爺さんが歌ったとか、説は諸々あるみたいだけど、ホントのところは良く分からないらしい
(;・∀・)
♪キヨが機織りゃキンニャモニャ~♪
海士町(中ノ島)滞在中、こんな陽気な節回しを何度も聞くことになるわよ
そして脳内再生が止まらないこと、うけ合いです(笑)
もう一つ、中ノ島の旅のヒントとなる公共施設がこちらの橋
名産のアゴ(トビウオ)に…
神社??
この謎の答えはこの後すぐ!!(笑)
まずは宿へ向かいます♪
中ノ島にはレンタカーが無いので、観光協会の車で宿まで送迎してくれました
※宿は港から車で数分、町役場のある島の中心部にありました
時刻はもうじき夕方6時
日没の遅い季節ってことで、夕食の時間まで宿の近所にある隠岐神社を散策
ε=(ノ・∀・)ノ
隠岐神社とは…承久の乱(1221年)により隠岐・中ノ島に流され、そのまま京に戻ること無くこの地で崩御した後鳥羽上皇を祀るために、紀元二千六百年の奉祝事業の一つとして昭和14年に創建されたもの
φ(..)
奇しくも昭和14年は後鳥羽上皇崩御700年という節目の年でもあるんだとか
( ・∀・)b
へぇ~ここにも土俵があるんだ
隠岐神社の狛犬はちょっと変わってるんですよ
足元に子供の獅子がいるの、分かるかな?
手水舎で清めて…
いざ!境内へ!!
神門の先に拝殿が見えます
(*ФωФ)
静寂に包まれた境内を独り占め♪
新しい神社とはいえ、80年近くの歳月を重ねた社殿はなかなかの趣です
(*´∀`*)
扉のハートマーク♡
夕日と長い影が風景に彩を加えてくれます
( ̄人 ̄)゛参拝~
さすがに社務所は閉まってたので、翌日に御朱印を頂きました
お祭り用の御輿…どっちかが江戸時代作
(。-`ω´-).。oO(右だったか・・?)
後鳥羽上皇は蹴鞠が好きだったようで、拝殿の前に「蹴鞠どころ」が設けられてました
大河ドラマ「おんな城主 直虎」を見てるので…蹴鞠と言えば、今川氏真ぼっちゃま!を思い浮かべちゃう今日この頃(笑)
隠岐神社の境内を出て、右奥へ進むと…
後鳥羽上皇の御在所跡
目の前には多くの皇族お手植えの樹木があります
明治時代の皇太子…ってことは「大正天皇」のお手植えの碑、ですね
フム(( ˘ω ˘ *))フム
さらに先へ進むと、菱浦港近くの橋の欄干の模様と同じ風景が…!!
あの橋は後鳥羽上皇火葬塚を象ったモノだったのね~♪
(。-`ω´-).。oO(右だったか・・?)
後鳥羽上皇は蹴鞠が好きだったようで、拝殿の前に「蹴鞠どころ」が設けられてました
大河ドラマ「おんな城主 直虎」を見てるので…蹴鞠と言えば、今川氏真ぼっちゃま!を思い浮かべちゃう今日この頃(笑)
隠岐神社の境内を出て、右奥へ進むと…
後鳥羽上皇の御在所跡
目の前には多くの皇族お手植えの樹木があります
明治時代の皇太子…ってことは「大正天皇」のお手植えの碑、ですね
フム(( ˘ω ˘ *))フム
さらに先へ進むと、菱浦港近くの橋の欄干の模様と同じ風景が…!!
あの橋は後鳥羽上皇火葬塚を象ったモノだったのね~♪
「隠岐島」と聞くと「ジオパーク」より「島流し」のイメージが湧く方にとっては、おぉ!!って思うかも知れませんね
扉に彫られた菊の紋、見えるかな?
後鳥羽上皇は菊が好きで、紋に菊をあしらったのが今の皇室の菊の御紋の始まりだったとか
φ(..)
そのまま進むと出口(=入口)へ
残念ながら最近枯れてしまった「綱掛けの松」
昔はこの参道付近までが海岸線で、この松に綱を掛けて船を抑留したんだそうです
φ(..)
後鳥羽上皇が流された時も、ここに船を泊めたのかもしれないね
隠岐神社の向かいにある「海士町歴史民族資料館」に、本物の綱掛けの松が保存されてました
隠岐神社周辺は当たり前なんだけど宮内庁の管轄
注意事項を守って気持ちよく見学したいものです
( ・∀・)b
(2017.5.2)
扉に彫られた菊の紋、見えるかな?
後鳥羽上皇は菊が好きで、紋に菊をあしらったのが今の皇室の菊の御紋の始まりだったとか
φ(..)
そのまま進むと出口(=入口)へ
残念ながら最近枯れてしまった「綱掛けの松」
昔はこの参道付近までが海岸線で、この松に綱を掛けて船を抑留したんだそうです
φ(..)
後鳥羽上皇が流された時も、ここに船を泊めたのかもしれないね
隠岐神社の向かいにある「海士町歴史民族資料館」に、本物の綱掛けの松が保存されてました
隠岐神社周辺は当たり前なんだけど宮内庁の管轄
注意事項を守って気持ちよく見学したいものです
( ・∀・)b
(2017.5.2)