「進化成長の一助としてトラウマを見る」というワークショップ、
6月22日、無事に終わりました。
1人でやるほぼ一日ワークショップでしたが、
その日は朝から何とも充実した気分で目覚めました。
この感覚はワークショップのプリシグナル、
つまり何かの暗示であろう、と思ったのですが、
参加者のみなさんに支えられ、とても素敵な場になりました。
本当に皆さんありがとうございました。
そして何より、僕の論文を読んでくれて、
このワークショップの企画から実行までサポートしてくださった
みゆきさんに感謝です。
トラウマ的な心に残る出来事は、
その大きさや濃淡はあれど、誰の中にもあることだと思います。
そうした出来事は、まるで静止画像のように瞬間冷凍されているものですが、
意識の深いところから僕らの心身に影響を与えています。
このような出来事には、その場を守る、
プロテクターというロールが不在なのですが、
ワークショップではこのプロテクターを自分の物語に布置するワークをしました。
プロテクターがしっかり物語に入り込む瞬間を目の当たりにするのは感動的で、
今ここで物語が変容していくようでした。
こうした作業は、まさに自分を癒し、周りとの関係性や場を癒す作業なのだと思います。
次はあるんですか?と嬉しいお声も頂いたので、考えてみたいと思ってます。
6月22日、無事に終わりました。
1人でやるほぼ一日ワークショップでしたが、
その日は朝から何とも充実した気分で目覚めました。
この感覚はワークショップのプリシグナル、
つまり何かの暗示であろう、と思ったのですが、
参加者のみなさんに支えられ、とても素敵な場になりました。
本当に皆さんありがとうございました。
そして何より、僕の論文を読んでくれて、
このワークショップの企画から実行までサポートしてくださった
みゆきさんに感謝です。
トラウマ的な心に残る出来事は、
その大きさや濃淡はあれど、誰の中にもあることだと思います。
そうした出来事は、まるで静止画像のように瞬間冷凍されているものですが、
意識の深いところから僕らの心身に影響を与えています。
このような出来事には、その場を守る、
プロテクターというロールが不在なのですが、
ワークショップではこのプロテクターを自分の物語に布置するワークをしました。
プロテクターがしっかり物語に入り込む瞬間を目の当たりにするのは感動的で、
今ここで物語が変容していくようでした。
こうした作業は、まさに自分を癒し、周りとの関係性や場を癒す作業なのだと思います。
次はあるんですか?と嬉しいお声も頂いたので、考えてみたいと思ってます。