久々にinnocenceを見ました。

すばらしいアニメーションだ。

演出、作画、CGとの融合、全てが押井守によって一体性をもって同じ方向をむいている。

思想の面でも、言葉を随所にちりばめることで映画全体の空気を演出している。

でも

やっぱりアニメーションの限界として、質感が無い。匂いがない。

「本質」はすべてそこに依拠するものだと思う。

質感と匂い。これらを伝えるアニメをぼくは見たことが無い。

映画が「思い出」だとしたら、アニメは「思い出のアルバム」に過ぎない。

それだから、押井監督のように映画から学んでアニメを作ろうとする人の作品を見るとき、僕らが客観的に措定されてしまう。

「僕ら」とは大げさに何かを批判して大げさに何かを期待する人々。

「僕ら」を動かすには、TV版エヴァンゲリヲンのように「おめでとう」と言って突き放すしかないいんだ。

「リアル」を追求するアニメーターがいる。

でもやっぱりそのリアルは、僕らに直面する危機に少しも届いていない。

ビューティフルドリーマーで、押井監督は僕らの姿を浮き彫りにしようとしたが、それは全くもって見当違いだった。

僕らは、押井監督がいると思っている場所にはいない。深く映像の中に沈んでいる。押井守の演出は邪魔だとさえ思えた。

そして一番の間違いが、「僕ら」は真実のために戦おうとしないということを、監督がわかっていないことだった。

「僕ら」は卑しく、真実から眼を背け、与えられるものを批判し、人生という三分間を待つだけの、インスタントな存在にすぎない。

どうしてそこに質感が必要だろうか?匂いが必要だろうか?

アニメーターが本物を欲しがってはいけない、と僕は思う。






今日公認大会に出てきたので、レポをば。因みにエーリアンで出ました。

一回戦 対テラナイト××

1戦目
初手にソルジャー二枚来て涙目
罠で妨害しまくるも、ドローソースがないので息が続かず負け
2戦目
先行キングレ成功、供物とデモチェを伏せる最高な滑り出し
相手はセプスロでアドを取ろうとするもデモチェで防ぐ
自ターンに周り大嵐×供物コンボで場を一掃後ゴルがーに結束で勝ったかこれ⁉︎と思いきや相手のラグナゼロに負けた

二回戦 対クリフォート××

一戦目、モンスター引かず死亡泣
二戦目、モンスター引かず死亡吐

三回戦 対ファーニマル⚪︎⚪︎

一戦目、結束張ってエーリアンソルジャーで攻撃したらドゥーブルパッセ撃たれて吃驚した

二戦目、相手はソラ君デッキかと思っていたら、ブロックスパイダーにモノマネンド発動して3体並べる遊矢プレイング!中々の固さだったがリビデを使ってゴルガー3体並べて侵略した

以上。最後の人は最近(6月から)始めたらしく、融合も二枚しか持ってなかったけど、デッキ選びのセンスが抜群だったのでまたやりたいなあと思いました。
フルメタルパニックというアニメがある


第一期はとっても面白かった!

シリアスな面に重きを置きつつ時たま現れる学園ラブコメの一面。

ロボを楽しみつつ、学園ラブコメをアクセントにする、最高のバランス!たまにガンダムパロもある。

制作会社はゴンゾ。大雑把な作画ながらも勢いがあって笑顔が可愛い。


そして第二期のふもっふ


制作会社が京都アニメーションに変わる。

京アニは絵に特徴がありすぎて違和感がある。目がちっさくなったし、胴が長い。でもそのうち慣れそう。

しっかし確実に作画レベルは上がってる気がする。でも美術は一期のほうがいい感じ。京アニは細かいところの枚数が多いなぁ。

二期からはロボは無し。学園ラブコメが9割みたいだ。流石にギャグセンスは古いが。

ほぼ違うアニメだ。これを望んでいた人が大勢いたような、そんなアニメ。


でも個人的に思ったのは、、、




ロボ出してえええええええええええええええええええええええ