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歴史調査

卑弥呼・台与までの倭国は

「九州世界」だった

(日本初の

国の女性リーダー・

卑弥呼の謎)

 

黒井ドラゴン

 

 以前、筆者の邪馬台国=九州説の小論を発表した時、邪馬台国=畿内説のある研究者から「邪馬台国の所在地問題は、すでに畿内説でほぼ決まっている。いまさら、『邪馬台国はどこか?』などと唱えるのは意味のないことだ」という反論を受け、この時「畿内説はそこまで有力視されているのか」と驚いた経験があった。

 

 

序.今まで、卑弥呼・台与当時の

倭国の範囲は具体的に

考えられてこなかった

 

 邪馬台国の研究史をよくみると、意外にも「卑弥呼当時の倭国の範囲はどこまでだったのか?」が具体的に考えられてこなかった。

 それは、暗黙の了解のうちに、「卑弥呼当時の倭国の範囲は、東北地方の一部と北海道を除いた、日本列島全域だ」という認識があったからだった。

 

 だが、その認識は間違っていたようなのである。

 

 

1.『魏志倭人伝』が伝えている、

卑弥呼当時の倭国の範囲

 

 では、『魏志倭人伝』が伝えている、卑弥呼当時の倭国の範囲はどこまでだったのか?

 それは、「九州の中だけ」なのである。つまり、卑弥呼の時代当時の倭国は「九州世界」だった、ということだ。

 

 そして、本州や四国は、「卑弥呼当時の倭国の範囲」には入っていなかったことを伝えている。つまり、卑弥呼の時代当時は、本州や四国は「倭国の範囲外」だったことを伝えているのである。もっと具体的にいうと、『魏志倭人伝』は、卑弥呼当時の本州や四国などの地域は、「倭国とは別の国」、つまり「外国」だったことを伝えている。

 

 ただし、「九州」といっても、「九州全域」ではない。九州中部~南部は、卑弥呼に従っていない、卑弥呼と敵対した勢力・狗奴国が存在していたので、この九州中部~南部を除いた地域と、卑弥呼と敵対はしていないが、卑弥呼の傘下にはなかった勢力を除いた地域が「卑弥呼当時の倭国の範囲」だった。

 

 

2.「国」としては、九州と

本州・四国などの地域は別だった

 

 文化面・人種面では、九州と本州・四国など、ともに共通面があった。だが、「国」としては、九州以外の地域は、倭国とは別の国=外国だったようだ。これは、中国大陸・朝鮮半島でも、文化・人種は共通しているが、「国」としては別で、「外国」だったことと同じである。当時の日本列島の中は、このような視点で見た方がよいだろう。

 

 

3.本州・四国なども倭国の

領域に入ったのは

次の古墳時代だった

 

 そして、卑弥呼の次の台与の時代までは、倭国は「九州世界」であり、九州以外の地域も倭国の領域(範囲)に入ったのは、台与の次の王の時に古墳時代が始まった時だった、と考えられるのだ。

 

☆拙著『歴史小論3 卑弥呼・台与までの

倭国は「九州世界」だった』より