新橋~横浜間開業時の
「1号客車」
(鉄道史めぐり10)
黒井ドラゴン
今日、6月12日は「鉄道仮開業の日」である。
1872年(明治5年)5月7日、品川~横浜(現在の桜木町)間が「仮開業」した。当時の5月7日は、新暦の「6月12日」に相当するので、今日から154年前のことだった。
1日にわずか2往復だけの列車しかなく、品川~横浜間の所要時間は35分だった。ノンストップだったとはいえ、なかなかの速さだ。
仮開業から4カ月後の9月12日(新暦の10月14日)に、新橋~横浜間が開業したことで、鉄道は正式に開業した。
鉄道博物館保存の「1号機関車」は、開業時の10両の蒸気機関車のうち、1番目に日本に到着したので、栄光ある「1」の番号が与えられた、ともいわれる。
「1号機関車」は有名だが、「1号客車」はあったのか?
「1号客車」は、新橋~横浜間開業時の「トップナンバーの客車」である。
新橋~横浜間開業時、58両の客車があったが、この中で、「最もトップの形式の、NO.1」の番号が与えられた客車が「1号客車」に相当する。
フランシス・ヘンリー・トレビシックが編集した「明治26年略図集」といわれる車両図集に、「形式A、1、サロンカー」と書かれた客車がある。
この客車は、1号御料車が作られる前に、明治天皇の御料車として使われていたらしく、新橋~横浜間開業時に明治天皇が鉄道開業式に臨席した時に乗車した客車は、この「A」形だといわれている。
つまり、新橋~横浜間開業時の58両の客車の中で、「トップの形式、トップナンバー」だった客車は、この「A」形で、筆者はこの「A」形が「1号客車」だと考えている。
この「A」形は、のちに「イ1形、イ1号」になり、さらに「イ112形、イ112号」となった。だが、残念ながら、この客車は残っていない。1号御料車とともに、残してほしかった客車だ。
ちなみに、フランシス・ヘンリー・トレビシックは、蒸気機関車を発明したリチャード・トレビシックの孫である。