K哲学・歴史研究所 黒井ドラゴン研究員つぶやき日誌

武蔵の

『ミリオネアメンタリティー』

(豊かさ意識)

黒井ドラゴン

 

 

 「武蔵はお金に困らない人だった」。

 

 1.武蔵は「福力」の人

 

 武蔵が晩年に熊本にきて、57歳の時に熊本城の城主・細川忠利の客分になるまでのことは、あまりわかっていないらしい。おそらく、仕官らしい仕官をしたのは、この時だけだったようである。

 

 だから、「武蔵は、若いころからさぞかしお金に困ってきただろう」と思われがちかもしれないが、不思議と「お金に困らなかった人」だったというのだ。

 晩年に熊本に来る前は、仕官らしい仕官をしたことがなかったようなのに、「お金に困らない人だった」というのである。

 

<「金力と福力」

 武蔵には生涯福力(ふくりょく)が備って、金には不自由しなかったという説がある。

 彼は平常、幾つもの木綿袋に金を分けて天井に吊るし置き、訪れる浪人者や、武者修行に出る門人達には、『何番目の袋を路用として持ち行け』と、いって与えたそうである。

(『随筆宮本武蔵』吉川英治・六興出版)>

 

 このように、武蔵は生涯、「金力・福力=お金に困らない力」が備わっていたという。「福力」というのは、「お金を引き寄せる力」である。

 「お金に困らない」というのは、体の健康と同じレベルでとても大切なことだ。このうちのどちらか1つが欠けても、健康な生活は送ることはできない。「世の中、すべてがお金(例外のごく一部を除いて)」だからである。

 武蔵は今でいう「ミリオネアメンタリティー」(豊かさ意識)が身についた人だったのである。だからお金を引き寄せることができたのだろう。

 

 本当に、「不思議な人だ」というしかない。武蔵が「勝負強い」ことと、「福力の人だった」こととは、何か密接につながっているのではないか、と思った。

 

 また、武蔵は訪問した人や、武者修行に出る弟子たちにお金を渡していた、という話を聞いて、「武蔵という人は、気前がいいというか、人を大事にする人だった」と感じた。自分のお金を他人へ、その人のために与える人というのは、そうそういないからだ。

 

 武蔵の気前の良さ、人を大切にしたらしいことなど、今まで知られていない武蔵像を見た気がした。

 

 また、武蔵は、今でいうと「豊かさ意識(ミリオネア・メンタリティ)」を身に付けた人だったのである。

 

 2.持っていたのは「一郷士の子」ということだけ

 

 そして、武蔵のような人物は見たことがない。吉川英治は、次のように言っている。

 

<近代の物力以上、近代人の知能以上、系図や家門が重んじられた社会制度の頃に生きて、一郷士の子という以外、彼は何も持たなかった。

(前出より)>

 

 武蔵は、今でいえば、「在野の剣術家」だろう。あるいは、非正規の仕事をしながら、剣の修業をしている剣術家であろう。

 

 家の系図(家柄)が絶対的に重視された時代の中で、家の系図(家柄)も持たず、属す流派(「自分は○○流だ」という肩書)もなかった武蔵が、当時あれだけ世に知られ、『五輪書』を書き、のちには講談物の主人公になり、今に至るまで歴史上に名前を残したのだ。

 

 今に例えると、学歴・肩書なし、家柄もない、在野の無名の孤独な学者が、一流の大学教授たちと肩を並べ、むしろ凌駕するほどの学者にまでなり、歴史上に名前を残す学者にまでなった、ということだろう。

 

(2024.9.13)