珍しく保江邦夫先生からメールがあった。
何かと思ったら、保江先生が梨本宮を名乗る梨本隆夫氏と一緒に写っている写真が送られてきた。
その時の名刺の写真(旧皇族と書かれている)も一緒に。
写真の公開を保江先生に提案したが、返事が来ないのでまずは事実だけ報告。
以前、梨本宮記念財団事務局の方から私のところにクレームが来たことがあった。
保江先生の著書に梨本隆夫氏と会った時のことが書かれていて、私はそのことをブログに書いただけなのだが、「その部分を消せ!」と言う内容。
電話では「梨本隆夫本人は保江邦夫なる人物に会ったことはない。本を読んだ人からの問い合わせがあって困っている。逆にそんなことを言っている人がいるなら一度会ってみたいと仰っている」という話だった。
今回一緒の写真が出てきたことにより、保江先生の話の方が事実だったことが判明した。
梨本隆夫氏が保江先生と会ったことを本当に忘れていたという可能性はある。
しかし、私の方に電話を掛けてきた本当の理由は、「梨本隆夫」でネット検索すると色々と不都合な話が出てきてしまうので、警戒して釘を刺しに来たと思っている。
電話をしてきた時点で、私は検索で出てくる内容を既に見ていたが、知らないふりをして相手の話を聞いていた。
おかげで「伯家神道の正統は梨本宮にあって、金光教の高濱清七郎は正しい霊統にいない」とか面白い話も聞けた。
個人的には、伯家神道はあくまで白川伯王家だけのもので、白川家が断絶した時点で終了したと考えている。
大事な宮中祭祀については、別のルートで継承されている。
伯家神道の祝之神事の予言についても、わかっている事実から高濱家の親族がつくった可能性が高い。
それでも、保江先生は祝之神事を託されて、更に明治天皇の血筋といわれる人が何かしらの形で継承し、今上天皇に何となく伝わったいう話は本当みたいで、それぞれの国を想う気持ちは大事にしたい。
<追記>
先ほど、保江先生から返信が来て「写真を公開する必要はまではない」とのこと。
写真をわざわざ探して送った理由は「自分が嘘を言う人間でないことをわかってもらうため」ということだった。
当時、私もどちらの言い分が正しかったのかはわからなかったので、保江先生を疑う気持ちがなかったとは言い切れない。
この件については、私も保江先生に謝罪したいと思う。