先程UPしたブログに、適切な言葉を見つけました。。。解りやすく書かれたヨガ哲学…綿本さんの“瞑想ヨガ入門”です。
“情熱や信念だけでは、瞑想はおこりません。むしろ倍幅するエゴに溺れて、瞑想の対極へと向かってしまいます。
そこで必要なのが、エゴを通したいからこそ、相手や周囲の意見に耳を傾け、それと同調するということ。
言い換えれば、相手の意向や気持ちを「感じる」こと、そのうえで「認める」ことによって『柔』の心を培い、より瞑想的な心の状態へと近づける”
“瞑想”という言葉を、なんと置き換えて良いか…。自分の役に対するエゴ、それを守るために、周囲への感受性……、それが演じての醍醐味……と、思う…。それなくしては、ないでしょう。元宝塚のM氏も本日おっしゃってた…。“戯曲を読んで、通常だったら相手役は、こっちに動くべき、それをどう相手に伝えるか…。”いくつかの選択肢……。1.皆の前でそれを言う。2.皆がいないところで、それを話し合う。3.演出家に言う。4.自分で違う動きを試す。
正解は、4。ケイスバイケイスとは、思う。でも、相手を自分の思い通りに動かすのでは、相手の感受性を否定してしまう。2は、相手の考えを認め合いながらの話し合いなら良いと思う。思いが強い上に、エゴに走りやすいのが事実…。
また、切っても切り離せないのが身体…。“心というのは非常にうつろいやすく、時間が経てば色々なことを忘れ、また何事にも慣れていくのですが、身体の方は、少々根に持つ性質があるため、心の緊張や姿勢の偏りを少しずつ記憶し、ため込んでしまいます。ますます筋肉が硬化、萎縮、癒着、、結果としてさらなる緊張が生み出されるという負のスパイダルを描いていくのです。身体の記憶が、今度は、逆に心に働きかけ、影響されやすい心を負の状態へと引き戻してしまう。”
本日は、ただ、歩くだけ、時間軸をゆっくりさせた動きでも、かなりの強張りがみえました。身体への語りかけ、日々とても重要です。
有名とか有名じゃないとかではなく、“この役者さんずっと見てたい”という心打つ役者さん、それを感じるお客様ができたときに、日本の舞台も少し変わってく…かな