明日はある小学生の兄妹を教える日です。
前任者からこの子たちについて引き継ぎを受けたとき、お兄ちゃんはともかく妹は手がかかって困るのだと脅されました。
ところがいざ蓋を開けてみると、妹の学習意欲は兄に劣らず素晴らしいもので、お勉強をしているというより自ら学んでいるという姿勢でした。
つまり前任者が煩わしかったのは、講師が妹のために用意すべき教材の量が増えて面倒だという、教育に携わる者としてナンセンスな理由だったのです。
私はむしろ、彼女の「児童らしからぬ」自立した精神性に感動するとともに、兄が自習室に去った後も落ち着いた居住まいで母の迎えを待ついたいけのない少女が、果たしてこのまま傷付かずに大人になれるのだろうかと、余計な心配をしてしまったほどでした。
今日は中間試験前の中学生に最後の試験対策をしてきました。
彼女は何かというと「めんどくさい」と言います。
分からないからしんどいのではなく、分かっても「めんどい」のです。
文章題を紐解いて簡単な計算問題に持ち込めたとしても、計算を放棄してジ・エンド。
つまり試験前だろうが何だろうが、そもそも解く気がないのです。
彼女の中では、好きな男の子と一緒にいるのも部活で汗をかくのも面倒で、煙たい両親も嫌いな数学もまた、同じように面倒なのです。
私は純粋にこう思います。
いまの君は、本当にナンセンスだ と。
それを伝えるのもまた、教育であるはずです。
ギリギリ終電車に間に合うところが、あなたらしくて笑っていました。
でも、あなたの詞は説明的過ぎて、もっと感性のひらめきが必要だと思う。
廣川
