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20日の夜、大きな気づきが訪れました。

私の悩みの一つに

『人の話が聞けない』 があります。

この悩みは高校時代からずっと抱いていたのだけど

長年逃げて向かうことを避けていた悩みでもありました。

その出来事は20日の夜、主人が抱えている苦しみを聞いていた時。

以前から主人が悩みを打ち明けるとき
聞けない私にいつも

「話を聞く気がない。もう話さない」と
機嫌を損ねさせえしまっていました。

私はその意味があまりわからずにいたのだけど
(いつも聞いているつもりなので・・・)

その日の夜もまた同じパターン。

また、やってしまった・・・と。

私は聞く準備ができた話を続けてほしいと言ったけど
時すでに遅し。

何分か沈黙・・・。


だけど、主人も、心のモヤモヤが残ったままなので
話し始めた時


心の声「(私 主人の話聞けてない。何を言っているか全く分からない。
私、本当に人の話していることがわからない。いつもこんなだ!どうしよう)」


ということが鮮明に見え

この気持ちを素直に主人に訴えることができた。

すると主人がもう一度丁寧に 話してくれた。

その時

私はいつも主人(他人)が話す事柄すべて
自分の事柄に照らし合わせ自分の経験したことに変換してその気持ちを理解しようとしている
ということに気づいて 
涙がボロボロとこぼれた。


そのまま主人(他人)が話すことをストレートに聞くやり方をいつの間にか
間違った聞き方をしていたのだ。

いつからこんな風になってしまったのだろう。
きっと、小さな頃からなんだろうと思う。

しかも、主人も先日 「父の話をいつも聞いていなかった」と言う気づきが
訪れたばかりだった。
私はその話を聞いていたがあまり意味がわからなかったのだけれども

この日は自分も経験したことだったので初めて理解できたのです。



他人の話を曲げて聞いて聞けるわけがないし、理解できるわけがないのだから。

他人の話を自分の経験に照らし合わせる=その時点でもう他人の話を聞いていない。




他人と話していると必ずと言っていいほど

「アドバイス」して会話にならない時が多いが

これは↑の様な状態になっている。



打ち明けたことに、

アドバイスしてしまう人。

言い聞かせようとする人は 話を聞いていない。



そして、この気づきは、長年の癖なので少し逆戻りしてしまうのだ。

なんとも、ややこしい自分にいらだちを感じてしまうもの。

こうやって、生きているうちは 自分発見の連続なのだろうと

改めて実感したのでした。



ちなみに、「自分は人の話が聞けないなぁ」という悩みがある人は
私が経験した気づきが必ず訪れると思う
同じようなパターンではないのかもしれないけど。


他人の話が聞けないことの苦しみはなかなかなもんですね。
とくに、身近な家族の話が聞けないなんて本当に悲しいことです。


その次の日から、主人も私も癒しが訪れ穏やかな日々を送れております。



次はどんな気づきが訪れることでしょう。楽しみにしております。