人間の心理として、他人より優位でありたい、そう思うものがあります。
自覚のあるなしに関わらず、そういう気持ちが誰にでもあるのです。
それ故に、自分の知らない事や経験上ありえない事などを素直に受け入れ、認める事ができないのです。
他人より優位でありたい、その気持ちの存在を知ったとしても、まだ受け入れられないのは、己の器の小ささではないでしょうか。
そういう気持ちが自分にあるとして、それならこうしていこう、こういう風に考えてみようと試行錯誤しながらも自分を大きくしていけるのです。
しかしそれもせずに、ただ受け入れられないと拒否していったとしても、結局は自分の視野を狭くしてしまうのです。
受け入れるのは相手のためではありません。
何事も最終的には「自分のため」になるのです。
頭では理解できたとしても、人間には感情というものがあります。
その時々の気分で受け入れたり拒否したり、また言う相手によって受け入れたり拒否したり、それでは誰かがあなたにアドバイスをしてくれたとしても全てを吸収する事はできません。
何もかも信じなさい、吸収しなさい、そうは言いません。
ただ今の自分を空っぽにした状態で一旦受け止めてみなければ、今の自分を頑なに持ったままでは効率が悪いのです。
水を吸ったスポンジに再度水を含ませるのは無理ですが、乾いたスポンジならどんどん水を吸収しますよね。
それと同じなのです。
そして一旦自分の中に受け入れた事を、次は整理し、そして判断・選択していくのです。
この世に人間の理解できない事は山ほどあります。それを無理やり「あり得ない」と証明しようとする事に何の意味があるのでしょうか。
人間が知らないだけで、それは本当に存在するのかもしれません。
だからこそ、自分も「出来ない・無理だ・自信がない」と逃げずに、「やってみようじゃないか」と言える自分に変えていかなければならないのです。
奇跡といわれるものは、何も天から降ってくるのではありません。
自分の前向きな姿勢と強い意志、そしてそれに伴う行動が導くものなのです。
人間にはそういう可能性が秘められているのです。
ただ、それをどうやって導くのかを知らないだけなのです。




