人は人に相談をする時、すでに自分の答えを持っている場合があります。
持っているのに相談をするのは、誰かに背中を押して欲しい、責任を背負って欲しいという思い(自覚のあるなしに関わらず)があるのです。
綺麗事を返されても、それはそうだ、と同調はしても、本当はそんなものを求めているのではないのです。
人は、弱いのです。
人から後ろ指を指されたり、嫌な人だと思われなくない故に、自分の出した答えに躊躇します。
そして、それを実行するために、誰かに悪者になって欲しいのです。
悪い事ではありませんが、いつも側に悪者役になってくれる人がいるとは限りません。
かといって、自分が悪者になる勇気もありません。
結果的に、答えは出したものの、それに従うわけではなく、良い人であろうとするのですが、意外にそれは精神的に苦しいものになります。
良い人であろうとする事、それは一般的な見方からいけば、決して悪い事ではありません。
しかし、そこに精神的に苦しいものが発生するのなら、それは我が身を、我が命を削っていくのです。
「あんなに良い人がなぜ…」というような事がありますが、その中には、行動と思いのギャップによるものが原因の一つである場合もあるのです。
人は弱いのですが、強くなる事はできます。
強くならなければ、良い人であることも、また自分が出した答えに従う事もできないのです。
良い人でありたいのなら、心からそうなれるように。
自分の出した答えに従うのなら、陰口等に振り回されないように。