Bonds with a soul

Bonds with a soul

胎児は母親とへその緒で繋がることでその命を繋いでいます。
この世へ誕生すると共に、その繋がりは切られてしまいます。
そこから先、私たち人間は、新たなる何かに繋がらなければなりません。
それは、自分の魂ではないか、と思うのです。

 

夢中になっても物事に取り組む

それは素晴らしいことです

しかし、そこに冷静さがなければどうでしょうか

夢中になるあまりに周りを振り回したりしてはいないでしょうか

最初の気持ちを忘れて方向性が違ってきてはいないでしょうか

夢中になることは気持ちがいいのかもしれません

だからこそ、時折立ち止まって、周りを見回し、今の状況を確認することが大切になってくるのでしょう

 

人はそれぞれに意味があって生まれてきます

その意味がどんなことであるのかを一生をかけて求めていくしかなく

その答え合わせは死の瞬間にしかできないとしても

求めることをやめてしまえば

私が私である意味は

あなたがあなたである意味は

どこにいってしまうのでしょう

 

面倒くさいと楽なことだけをしていれば

得られることもそれに見合うものでしかない

努力は必ずしも報われるわけではないという話はしたが

楽なことしかしなければそれ相応ということなのだ

一見して楽なことしかしていないような場合でも

それは人から見たことでしかなく

人から見えない部分でのその人の言動や思いは分からない

地味かもしれないければ自分ができることを惜しまずに行い

昨日の自分よりも少しでも成長すること

一歩一歩進むことで気づけば遠くまで行ける

 

人のことを笑った時

それが「笑っていけない」ことだとしても

人は気づかない

気づかないまま罪を犯しているのだ

結果として気づかないまま罰を受ける

それが人にとっては青天の霹靂であるが

実際には自分が蒔いた種が芽を出しただけである

 

努力は必ずしも報われるものではない

どんなに一生懸命に取り組んでも

自分より上の人がいたり

取り組んだことの結果がでなかったり

うまくいかないことはある

努力したのにという気持ちはないか

努力を盾に自分に足りなかった部分を無視してはいけない

 

良い方に行くのも

悪い方に行くのも

きっかけはいつも些細なこと

大きなことは誰でも「気づく」のだが

些細なことは「気づかない」ままに流されてしまう

それがとんでもないところに流れ着くとしても

気づけばそこにいるのだ

 

人に認めてもらいたいと思う気持ち

それが強くなればなるほど認められないような言動を取ることもある

問題は人から認められないことではない

自分が自分を認められないことである

 

こだわりを持ち過ぎないこと

持ち過ぎれば動けなくなる

荷物と同じ

自分の体一つあればどこにでも行けるという気持ちであればいい

 

正しいとか間違っているとか

それを判断する基準が常に揺らいでいる人間社会では

今日は正しく明日は間違っているようなもの

だからといってすべてを無視して好き勝手にしていいわけではない

そこに人間性が表れるのだろう

 

人は忘れるから生きていける

いつまでも辛いことや苦しいことを鮮明に覚えていれば苦しい

時と共に薄れていくから生きていける

ただし忘れていい事と忘れてはいけない事の区別なく忘れてしまう