本日10月2日は、明治25年(1892)に福島県郡山市如法寺の住職だった鈴木信教僧正がお亡くなりになられた日です。

この方については、拙著『しんきゃう伝~奥州・郡山開拓秘史~』に詳しくご紹介しており、あとがきにも執筆に至ったいきさつを書いています。

 思えば不思議な出会いでした。

 郡山を訪れた時のこと。市街にある荒池(郡山は中心部に池が多い)のほとりに大きな記念碑が立っていました。案内してくださった方が「これは安積疎水を造ることに熱心なあまり、変人扱いされて死んだ人のものだ」と教えてくれました。その時は「ふ~ん」で終わったのですが、なぜかずっと頭に残っていました。

 日々の忙しさにかまけて1年も経った後、その人物を調べたら、それが小林久敬という人でした。今は東北新幹線が通っている福島県中央部は明治前半まで不毛の原野でしたが、小林はそこに水を引き入れる疎水建設を思い立ち、私財をなげうって国策誘致に尽力、ついには無一文同然となりました。彼を引き取って世話をしたのが信教僧正です。この方は自費で200人の孤児を養育したぐらいなので、もともと面倒見の良い方でした。さらに原野の開拓と安積疎水建設のために地域のまとめ役になり、その一方では東北でも指折りの高僧として名高い人でした。

 

 私は「優しくてマジメな人の伝記」にしたくはありませんでした。

日本が近代国家へばく進する陰で庶民は重税にあえでいた時代背景と、「豪快で型破り」な外見とは裏腹の内面の二面性に苦しんでいた(と私は思います)僧正の心情をメインにしたいと思いました。また街というのは自然に大きくなっていくのではなく、全て先人たちの努力の結晶であることも書きながら感じました。

 中高生にこそ読んでほしいので文字量を抑えたのですが、その長さで自分としては書きたいことは書けたと思っています。明治史に興味のある方にもぜひお読みいただきたいです。