うちの母は数年前に病気で他界しました。
両親は仲が良く、母は社交的でしたが父は母以外の人に気を許している姿は見たことがなく、他人に厳しい印象しかありません。
母に友人は居ますが、父の友人は見たことがありません。
退職するまで職種柄留守がちだった父。
父が不在の時の我が家は、母と私達姉妹が和気藹々と楽しく過ごしていました。
父が帰ってくると。
全てが父のルール(いや、機嫌?)下におかれ、見るテレビも食事中の会話も、とにかく父にしか決定権がありませんでした。
私は麺類全般まったく啜らない人間で、これも「食事で音を立てるな、煩い」という父の叱責から、麺を箸でまとめて、そっと口に入れるのが習慣付いたものです。
音を立てないのは良い習慣かもしれません。
でも、根っこにあるのは「怒られる」という恐怖だけでついた習慣なので、気持ちよく麺類を食べる感覚は味わったことが無いです。
旅行に行っても父主導の時間に細かく遊びの無いスケジュールで、楽しさよりは「ちゃんとして怒らせないようにしないと」という義務感のみでした。
でも、子供ながらに「喜んでいるそぶりも大切なのだ」とわかっていて、父親の顔色を見ながら子供っぽい嬉しさなども演出していました。
それこそ、父の顔色を見ながら。
少しでも父がイラッとしているように感じたら即座に軌道修正、従順な娘モードにスイッチ切り替え!
今の夫と遊びに行ったとき「どっかで座ってお茶でも飲もうか」となったとき驚いたものです。
我が家でそんなセリフ、聞いたことなかったわ、て。
思えばあんなことこんなこと、とめどもなく出てきます。
そして、母の居なくなった今、父は全力で「可哀想な、伴侶を無くした年老いた父親」という圧倒的に同情されるべき己の立場に胡座をかいています。
・今も可哀想だけど、実は親から愛されなかった可哀想な子供だった
・仕事をしているときも同僚からいじめられたり妬まれたり、可哀想なことが多々あった
・孤独な可哀想な年金暮らしの年寄りである
・お母さん(妻)に先立たれて可哀想である
・家事も買い物も、食事も全て一人で可哀想である
・年をとって1人で居るのは不安で、そんな状態が可哀想である
上記、口にすることもあれば口にはしないけど泣き言として匂わせたりしています。
昔は威圧で、今は同情されるべき弱さで、自分の気持ち以外何も考えない父。
ここに書かないことでも、父の「自分の気持ちだけが大事」事案はそれはもうたくさんありました。
それに疲弊する娘2人。
疲弊してても要望を受け入れていたのは、昔の父がやっていた不機嫌モードが発動される恐怖と、娘2人が割と結婚しても婚家の人間関係苦労続きで、人に優しくすることへの許容量がデカかったのが大きいのではと思います。
私はADHDはあれど人の気持ちは考える方なわけで、大人である今は「父親より私の方が動ける人間なのだから、色々やってあげなくては。」と頑張ってきたのです。
でも、父親の無神経さに傷ついたり、無限に優しさを強要されることに疲れていました。
金銭面でも、店に入って「あれ欲しいこれ欲しい」と財布も持たずについてくる父に「はいはい」と黙ってカゴに入れてレジに行く。
娘2人、優しすぎ。
そんな頑張りに頑張った疲れが澱のように溜まっていたところに立て続けに色んな事件勃発。
私がとうとう怒りに転じたのです。
長くなっちゃったな。
続きはまた今度に。
書いててゲンナリしてきたから沖縄のお花の画像でも置いておきます。
あら、綺麗。