昨日の話の続きです(^^)
自分の気持ちを言ってみてよかったのはこれだけじゃなかったの。
その話の流れで、ムスコが、
「おかーさんが最近、惣菜をちょこちょこ持ってきてくれることで、食費がけっこう浮いたんだよねー」と。
それで、その浮いた分で、
「小さなソファーを買おうと思ってる」
と息子が話してくれたの。
「おー!それってすごい!」
と思った!
「私が息子たちのことを思って作った惣菜」が息子に届き
↓
息子たちはそれを美味しく食べ、
↓
その結果仕送り分の食費が浮き、
↓
かねてからほしいと思っていたソファーを購入した。
という流れ。
これ、単にお金だけの流れだったら、
私は惣菜作るために、毎回6~8000円くらいの食材を買っているから、
それをソファー代に充当すれば収支はトントンなわけなんだけど。
だけど、食材にお金を使うことで私は
「息子に作って食べさせる喜びと、喜んでくれるかなぁというワクワク感」を手に入れ、
「息子たちは、作る手間を省けて、おふくろの味を食べることができ」
「さらにソファーまで手に入れることができた」
という同じ金額でもただ単にソファーに化けるか、
いろんな豊かさを享受した上で最終的にソファーになるかは
とても大きな違いじゃないかな」と思ったの。
そんなわらしべ長者的な豊かさの循環を感じたんだよね。
ここで大事なのは、
私が「義務感」でやっていないこと。
わたし自身は、憑りつかれたように惣菜を作っていたし、(かなり楽しかった。ふだんはサボるのに)
息子たちは、自分たちの料理のレパートリーの参考にもなったようだし、
さらに、ラインで「○○美味しかった」と報告してくれて、さらに嬉しかったし。
なんだか、これだけでも、ほんと「ありがと~」って感じなんだよね。
さらに、ソファーまで手に入っちゃったというこの循環。
ああ、豊かさの流れってこんな感じなんだなぁ~と思った。
「母の日のプレゼントなかったね・・・・笑」
と私が口に出したことで、
実は、私の目の前に母の日以上の豊かさの循環が流れていたことに気付いた。
・・・・・・・・ということは、
私がなんとなく言わない、言えないでやりすごしていたことで、
実はもっと大きなギフトも見逃していたのではなかろうか?
そんな気がしみじみしてる。
先日も、口に出したことで、うまくいったことがあったし。
いや~、いろいろ試されてますな。