私が「怒り」を感じるとき。

 

それは、 「言われっぱなしで、自分が言いたいことが言えないで終わったとき」

 

そういう状態のままで終わってしまうと、

 

2年3年経った後でも、そのことをふと思いだし、ぶわ~っと怒りが湧いてくる。

 

 

事なかれ主義的なところがあったから、

 

「とりあえず自分が謝っておけばいっか」

と安易な解決策に走り、

 

全く自分が悪いと思っていないのに「ごめん」とか言ってしまうと

 

自分の中のもう一人の自分があとになって暴れ出す。

 

 

先日も、あることがあって、また安易な解決策に走ろうとしたのだけど、

ある人からそれを止められ、(本人は止めたつもりはなかったらしいけど)

きちんと自分の主張をし、折り合うところを見つけて、

無事に解決に至ったけど

 

そういうときは、「怒り」があとあとに残らないことを体験した。照れ

 

 

子どものことでも、自分のことでも

子育て中の10数年間はいろいろと怒りを貯めることがあったけど、

 

(自分の子育てのやり方をいちゃもん付けてきたりとか、

自分ちの子の方がどうのこうのとか、マウンティングみたいのとか)

 

 

今では、そんなの全部まとめて

「なんだかんだ言っても、うちの子どもたちはいい子に育ったぞ、

ざま~みろ!」

と思ってますニヒヒ

 

 

ちょっと話はそれたけど、

 

結局、私が怒りをずっとずっと引きずるときって、

「きちんと自己主張できなかった」

ときに限定されるみたい。

 

その場その場で、相手に迎合して場を収めようとしてたからね。

 

 

でも、もう、そんなことはしない。

 

 

私はこのことこそが自分を粗末にする行為だったと気づいたから。

 

 

「怒り」はまだまだ私の中で消化中だけど、

ここ1か月くらいの天体配置の流れで、自分の中身がすごく変化しています。ポーン