私の実家は商売をやっておりました。(現在は休業中)

 

商売人には「金は天下のまわり物」という発想があってね、

 

「使わないと入ってこない」

という概念を持ち、

「お金は大きく回す」

「喜びごとには大きく出す」

というのを実践してました。

 

使い方はサラリーマン家庭よりも豪快だったかも。

 

(その分、生活は割と質素で、無駄を省いてましたけどね。)

 

 

実家で昔から信心していた神社で早稲田の穴八幡宮というのがあります。

 

ここは金銀融通の神様と言われ、商売人の間ではかなり有名な神社なんですけど、

最近は、SNSなどで広がったせいか、商売筋だけでなく、一般の方もかなりいらして、

お札が配られる時期(冬至~節分)はかなり混んでいるようです。

 

 

私たち商売人の「お金」の感覚は

 

「金は天下のまわり物」

「お金は大きく回す」

「不渡りを出さないように、普通に生活できて、プラスマイナスゼロであればそれでよし」

 

で、年末は

「不渡りを出さずに、無事に年を越せました。ありがとうございます。」

 

という風になれば万々歳という感じです。

 

 

きっと「穴八幡宮」の神様の意図もそんなところにあるんじゃないかなぁ~と

私はずっと以前から思っているんだけどね、

 

 

商売人じゃなくて、穴八幡に来る人って、

なんか「ひともうけ」したいとか、「大きく回そうとしない(自分では出そうとしないで)入ってくるといいな」

とか、そんな人が多いような気がするんです。

(あくまでも私の偏見ですが)

 

 

そういう方たちも穴八幡さまのお札を貼って、気分的にでも「ご利益あった」と喜んでいるのであれば、

それはそれでいいのだけど、

本当のお金の巡りの醍醐味はそんなところにあるんじゃないんだよな~。とも私は思っています。

 

 

この実家で学んだ、「金は天下のまわり物」

という感覚、

私は最近になって、

 

「あ~、私は子供のころから、素晴らしい知恵を授けられたなぁ」

とすごい感謝が湧いてきてます。

 

 

というのはね、人の振りを見てると

 

「お金に困っている人」

「なんだかんだいって、お金が巡ってくる人」

との違いは、

 

この「きちんと回せているかどうか」

みたいなんですよね。

 

 

たとえば、お見舞いとか、お祝いとかいただくとするでしょ?

 

それに対しての「お返し」

 

別に、「お返し」を期待してお祝いしたりする人も少ないと思うんだけど、

 

でも、逆に「お祝い」や「お見舞い」をもらって、なにも返さない人も増えてきてます。

 

 

これ、「返さなくちゃいけない」と思って義務のようにするのは、あんまりオススメしないんだけど、

 

「お祝いしてもらった」

「お見舞いしてもらった」

事に対して、

 

「ありがとう♪」

という感謝の気持ちをこめてお返しするっていう行為はとても大事だと気づいたんだよね。

 

これはエネルギーのやりとりとして考えてもそう思うでしょ?

 

 

でもね、お祝いしてもらっても、な~んにも返さない人たちって、

 

なが~い目で観察してると、

 

なんか貧乏になってる・・・・・というか、豊かさから遠ざかっている印象が強いんです。

 

 

これは「なんかもらったらお返ししろ」と言っているのではなく、

 

「受け取ったエネルギーは何らかの形で周りに大きく回していくと、

それがどんどん豊かさとなって回っていくよ」

 

ということを言いたいんだよね。

 

 

 

わたし自身もね、

「親に教えられたから」

以前は、義務のように「もらったらお返ししないと」

と思ってやっていた時代は、ほんとに豊かさとは程遠い感じだったけど、

 

「していただいたこと」

「受け取ったもの」

に関して、感謝の気持ちを回していくと

(それはその時々でモノであったり、行為であったりいろいろですが)

 

自分自身に豊かさとなって戻ってくるということに気付いたの。

 

 

自分からは何にも出してないのに、

人からは多く取ろうとしたりしてたとしたら、

それは、枯渇の連鎖を生んで、どんどん貧乏になっていく気がします。

 

 

まずは、自分から出すこと。

 

豊かさを受け取ったら、それをまた相手やその周囲の人に還元していくこと。

 

 

最近、この豊かさを体感できる機会が増えて、

 

「この世界って面白い~」としみじみ思っています。

 

 

これから、さらに私の周囲は、もっともっと面白く、楽しい現実になっていくと確信してます♪