最近、目にするブログやSNSに

 

「すべては自分が引き起こしている。

病気も、自分にメリットがあって自分で病気になるように意図している」

(ちょっと表現が違っていたらごめんなさい)

 

というようなことが書いてありました。


これは、なんとか心理学で謳われてる説らしいです(うろ覚えです。すみません)

 

そういえば、以前、受けていたセラピストの方も、

私が手術するって決めたときに、

 

「手術しないで治したいといいながら、本当は手術することを望んでいたから、こういう現実になった」

という言い方(ちなみにその方は手術は反対でした)をしてました。

 

 

そのときは、

「大きなお世話だ!

あんたのところに行ってても、よくなるどころかどんどん痛くなったじゃないかむかっむかっむかっ

 

くらいの怒りマックスだったけど、

 

股関節の痛みがなくなって、いろいろと落ち着いて物事を俯瞰できるようになってきたら、

 

「なるほど、確かに病気ってメリットあるかも」

と思ったし、

「手術も実はやりたかった」と思ってたかも。

という認識に変わってきましたびっくり

 

 

そもそも、私は3年前に変形性股関節症の末期と診断され、

「すぐ手術でもおかしくない」

と言われたんだけど、

 

その時の状況では

「人工関節は耐久性が20年くらい、だから、今やって、もし、長生きしたらもう一度再置換しないといけなくなる」

 

「人工関節にした人が、やっても痛みがとれないとか、足の長さが違ってつらいとかいう悪い方の噂ばかりが(私の耳に)入ってきた」

 

「受診していた先生がイマイチ信頼できなかった」

 

「その先生から、入院2か月、リハビリ1か月と言われ、『仕事もあるし、そんなに長い間家をあけられない』と思った」

 

という4本柱の理由で、

 

手術したくない→できる限り自力で治そう

 

と思ったのです。

 

 

でも、今、よくよく振り返ってみたら

 

あのとき思った気持ちは

 

(今は)手術したくないという、注釈つきだったかもしれません。てへぺろ

 

 

今回、手術に踏み切ったのは、

 

「この先生なら運命を託してもいい」

と思ったことが一番大きいですが、

 

「大事に使えば、一生再置換しなくて済むかも」

 

「入院10日間」

 

「もう、左脚の痛みがひどくて、やらなかったら車椅子かも、だったら手術に掛けよう」

 

と思ったから。

 

 

つまり、3年前とは状況が変わって、

「これだったら、手術をしてもいい」

という状況になったのですウインク

 

 

 

そしてね、


手術をした今、


私はやっぱりこの時期に手術することを設定してたんだわ。


とシミジミ感じてます。



病気って私にとって、デメリットだけでなく、

メリットもあったのでした。

それも複数。




病気っていうだけで、やらなくていいことや優遇されることがあったり、


周りが優しくなったり、


悪い習慣を変えられたり、


幸せの基準が下がって、

普通の日常にしみじみ幸せ感じられるようになったり




まあ、私は命に関わる病気じゃないから

そんな悠長なこと言ってるのかもしれないけど、




だけど、

病気になるのも含めて、全て自分が設定してるって

その考え方もありなのかもね、

と私は自分の体験を通して感じましたおねがい




【追記】

なんか、この説の是非があれこれ言われてるけど、

この論のアンチ派のある方のSNSでの煽り方が凄い(悪いイミで)

この煽り方も一種のコントロールだということに気づいてないのかなぁ?


読んでる人に気づきを与えるいいことを書いてた方なだけに残念な気がしました。


ま、だから人間として生まれてきて人間修行やってるのでしょうけどね。(-_-)      ←私も含めて