ブラックボックス♪ | ゆうなっち研究所!!

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世の中の真実について考えるのです

そうそうそう、それそれそれ!!
いろんなモヤモヤっとしていたことが、バチバチバチッ!と像を結ぶんですよ
うがあああ!すげええっ!ってなもんで

また気がつけばこうして、「戦争論」のことを語ってしまうのですけれども
これは本当に重要な書だと思いますよ

このシリーズは戦争を礼賛したり、戦争しましょう、日本の強さを見せつけましょう
個人は国家のために命を投げ出しましょう!などという書でない!

むしろ、避けられる(避けるべき)いくさは徹底的に避けようという

人は、国家に属さなければ生きられない
そして国家は、戦わなければならない場合がある
それは認めざるをえないとしつつも、
だけれども、避けられる(避けるべき)戦争は徹底的に避けなければならない

しかし避けられない場合がどうしてもあるという時、その極限とはどういう場合なのか
どうやって見い出せばよいのか
そこを徹底的に突き詰めるためには思考し続けなければならない
感覚を磨き続けなければならない

これも述べられてはいないけど、外への戦争のみならず、内への戦争
時として戦争をさせないために、最高権力者の御首級も頂戴しなければならない場合もありうる
だから「左」にも「右」にも重要な書なのであります

さて、ところで、原発

池田信夫先生が、この裁判官は法の支配をわかってないんじゃないか?
的なことおっしゃってましたけれど、
法の支配というのは、最後の最後は裁判官の怜悧な感覚、直感だから
判断の最終局面はブラックボックス、判断者でさえそこは完全に明らかにはし得ない

ま確かに法の根拠なしには私権を制限できないという原則はあるけれど
制限されることを前提としているのが権利というものであって
経済的権利は、特にこの種のものは結果の妥当性とか社会的利益との兼ね合いで、
そこは割と相対化される感じ

なんにせよ、これやっとけば大丈夫という、完璧なセオリーはありえない!

日々の思考の積み重ねから生じる、研ぎ澄まされた感覚、直感、
突き詰めてギリギリで滲み出てきた「勘」というもの

だから思考をし続けなければならない

原発止めても議論を止めてはならない

勝負しましょうか

この差し止め判断が高裁で覆されるか?

私は覆らないと思います

私が負けたら・・?

そりゃぁ、この部分の文章はこっそり削除ですよ

そういう時のためにですね、自分の間違いは肥やしにするために晒す方針なんだ!
みたいなことを日頃強調してるんじゃないですか!

ま、それは冗談として

私的自治、住民自治の原則、行政委員会の基準
それらも法の基準から逸脱すれば、合致するように修正されるわけだから、
法の支配ってだから「保守」なんであって、

そもそもは専断的な人の支配を許さず、まずは行政権への不信から
成り立っているとしても、いわゆるポピュリズムの暴走だって容認しない

例えばアイヌ認定についてのすごく甘い基準も国法の範囲を逸脱しているとなれば、
それによって修正され得るということになりそうですけれども