まだまだ人間として未熟な私が子育てについて語るなんてこと

たいそれたことかもしれないけど、とりあえずかれこれ5年近く子育てやっていて

思ったことをかきます。あくまで個人の体験に基づいた独り言ということをお忘れなく。

 

子どもを育てること。それは追体験に似ている。

私は自分が幼いころ、どうやって成長していったのか全くといっていいほど記憶がない。

断片の記憶はあるけれどまとまった記憶はもちろんない。

幼児期健忘ともいわれるように大部分の人はそうだろう。

だから子どもを産む前は外出先でダダをこねる子どもをみかけると

一体親はどんな育て方をしているんだと、眉をひそめたりすることだってあった。

 

今思えば、未熟だった。

 

子どもとはそういうものなのだ。

自分の子どもがまさか、スーパーで寝転がって、ジタバタするなんて思ってなかった。

いやいやいや、子どもってそういうものなんだ。

わけのわからないダダをこねて、いっぱい人がいるところで大声で泣きわめくなんて思っていなかった。

でもいざ自分のこどもがそうなると、ああ、子どもってこういう生き物なんだと痛感させられた。

そしておそらく幼少時の自分も記憶がないだけで多かれ少なかれこんなものだったのだ。

 

そこで思い知る。この子たちの姿は自分の過去の姿でもあるのだと。

子育てして人間は一人前になるなどといって、芸能人がたたかれていたこともあったが、

そんなこというと、子育てしていない人は未熟なのか!と非難を浴びそうだが

少なくとも、子育てによって、自分の軌跡をたどることができる

そのことによって、子どもという、大人には理解しがたい存在を

ある程度受け入れることができるようになるのではないかと思っている。

それが自分の許容範囲を広くすることで、社会に生きる上で「成長」したと考えられるのではないだろうか。

私も毎日のように子どもたちにイライラしてしまう自分に自己嫌悪に陥ることもある。

と同時に子どもたちが愛しくてたまらない。

それは幼かったころの自分の姿そのものであり、人間がたどってきた歴史そのものだからだ。

 

人生にはいろんな形がある。

子育てがすべてではない。子育てをしなくてもほかに有意義なことはたくさんあるだろう。

だから、子育てに興味のない人に子育てを強要するつもりは全くない。

ただ、概して子育てをしていない人で(特に高齢の方に多いのだが)

子どもに対する寛容さのない人が多いように思える。

 

この文章を読めば、ある意味それも仕方ないと思う。

だけど、子どもがいなくなると人類は滅びます。

脈々と受け継いできた人間の歴史は繁栄の歴史です。

もちろん私は自分の子どもが欲しくて産んだ。

だけどこの子たちは将来の日本を支える存在でもあります。

だから、この子たちが屋外で少し大声をだしたからって

少し走ったりしたからといって、そんな怖い顔でにらみつけないでほしい。

あなたたちは自分の子どもの頃のことを覚えていますか?

大声をだしたり、走り回ったりしない子どもだったのでしょうか?

 

私は子どもたちに教えられた。

お母さんも小さいころこうだったんだよって。

だから、子どもたちが危険な目にあわない限りは

過度に周囲に迷惑をかけない限りは

子どもらしく過ごさせてあげたいと思うわけです。

 

世知辛い東京都内で子育てする主婦の独り言でした。